2010年12月16日

ギブミ-チョコレ-ト(70才)の世代から日本人は劣悪化した



ギブミ-チョコレ-ト(70才)の世代から日本人は劣悪化した

1936(昭和11)年〜1937(昭和12)年生まれ・・・この年回りの人間は小学校前半まで
「一億総火の玉」「米英撃滅」といった極端な戦時体制下で育った世代。
特に九州は、沖縄の次に米軍が上陸すると当時みられていたため、幼稚園児の年齢でも
小型爆弾に見立てた石を背負ったり抱えたりして敵陣に突っ込む訓練を受けている。
ところが、「僕もお国のために米兵と刺し違えて死ぬ」と決意を固めた途端、日本は敗戦。
学校では180度転換した教育が始まり、「戦争は悪いこと」「みんな平和に仲良く」と教師が言い始め 鬼畜と教わってきた米兵が普通の人間で、ガムやチョコレートをくれる姿に混乱し、
もう何を信じていいのか分からなくなった者を多く抱えている。
団塊の世代と並ぶクズ世代で、凶悪犯罪に走ったり、年金をパチンコに費やして生活に困り
スーパーで万引きをしたりする老人を排出している日本の癌といえる。
(彼らと異なり大正後半生まれや昭和一桁生まれは比較的冷静に敗戦を受け止め、戦後の復興に尽力した)



●ギブミ-チョコレ-トから戦後がはじまった


世代の差が人間に現れる。団塊の世代は戦争に負けて生まれた。でも米兵に占領されて一時期支配されたことを知らない、「ギブミ-チョコレ-ト」だったのはその前の世代である。小学生のころ、進駐軍がやってきてチョコレ-トをくれたからそうなった。この時モノがない飢餓状態だったからこそギブミ-チョコレ-トでありここから日本人はアメリカの豊かさに憧れ物欲、金万能の世界へと変質してゆく。飢餓状態に育つのだからモノに対する欲望は強くなる。そもそも日本人は大正生まれが90才とかなっているけどみんな極端な貧乏だった。女工哀史とかの世代でありその後も貧乏はつづいていた。でも80代以上の世代は貧乏なんだけど義理人情に厚いとか貧乏でも悪いことはしないとか盗まないとか何か日本人が継続したモラル、道徳を守っていた。また他人を思いやるという心もあったし正直な人が多かった。本当に極端に貧乏でも最低限の社会の道徳は守られていた。ところがアメリカに負けたとき、日本人は変質してしまった。
子供のとき、戦争一色からアメリカ一辺倒になった変化が極端だっため日本人としてのモラル、道徳を全く否定された世代だからこうなったのかもしれない、アメリカに習い物欲一辺倒になってしまったのである。そのはじまりがギブミ-チョコレ-トだったのである。この年代の人は70才くらいの人である。でもさらにここから75才とか上の人になると人間がまた違っている。素朴な日本人の道徳をもった人々がまだ生きていた。世代間によって5年違っていても類型化されたものがある。おそらく70才辺りの人が人間の質が落ちているのは確かなのだろう。それ以下の団塊の世代も完全にアメリカ一辺倒の価値観を身につけるようになったのである。


http://showa.mainichi.jp/news/1945/09/post-da0a.html
(写真あり)


●戦争に負けて日本人のモラルは消失した


次に団塊の世代が生まれた。この世代も日本人としての道徳は何も教えられていない世代である。物欲一辺倒のただ経済的な豊かさを追求した世代である。自由とは自己の利を追求するだけであり公共的なモラルの追求はなかった。だから受験戦争が団塊の世代からはじまり他者を蹴落としてまでも利を求めていい暮らしをしたいために競争した。この世代に義理人情は死語になった。アメリカ的な価値観が完全に日本を支配したのである。戦争に負けたということその影響はあまりにも大きかった。戦争が負けたことにより日本的道徳、価値観が全く否定されたことでもあったのだ。戦争の善し悪しとかは別にして日本的価値観が否定されたことの影響が甚大だったのである。人間そのものを変えてしまった。もはや江戸時代からつづいた日本人はいなくなった。明治時代なら武士のモラルが以前として活きていた。「武士道」のモラルが継続されていたのである。それは実業であれ政治であれ教育であれ宗教であれ活かされていたのである。もちろん常に人間社会には腐敗があり堕落がある。でも日本人としての道徳、モラル、倫理はその底にあった。だからやはり全般的にみると人間の類型として違っていたのである。

モラルとか道徳とかいうとき何か特別な高等なものだと思っているけど庶民でも貧乏でも正直に生きる、他者を思いやるとか悪いことはしないとかのことでありそういう基本的なモラルをもっていることである。それが全く崩れてしまったとき社会はどうなるのか?互いに信用もできない、協力しない、個々に利を求めただ自分の欲望だけをもとめ他者を蹴落としてまで自分だけはいい目を見ようとする弱肉強食の世界になる。人は人にとって狼だとなってしまう。そして犯罪がふえてくる。90才くらいの老人が言っていたけどとにかく何でも盗まれて困る。みんなささいなものまでもっていかれる。実際田舎でも今ほど盗難が多い時代はない、もちろん過去にも犯罪はあった。でも本当に人間の類型として正直な人情に厚いという人はいなくなった。みんな利を求め金を求め血走っている。これだけ豊になっても逆に物欲はグロ-バル市場化して拡大化しているから充たされることはないのだ。他者をみるときこの人は自分にどんな利益をもたらすのか?それしか眼中にない人が多い。そういう目でみていると保険金殺人にすすむのも自然なのである。この人とつきあうメリットはどこにあるのか、どれくらいの利をうむのか、何も生まない、では何の関係もない、保険でもかけて金をまきあげるしか価値がないとまで極端化するとそうなる。そういう人とばかりあっていると嫌になるだろう。嫌というだけでなく恐ろしくもなる。でも今やそういう人としかあわないのではないか?殺伐としているとはそのことではないか?豊になっても人間の心は貧しくなってはいないか?


●人間のモラルは貧富と関係ない?


一方で今からすると極貧の社会でもそんなに人間が利を求めて血走っていたのだろうか?
そんなことを言うとこの世の中はそんなもんじゃない、食うか食われるか、生きるか死ぬかだよ、現実の厳しさを知らないからそんな浮世離れしたことを言っているのだと怒る人もでてくるだろう。でも明らかに今より貧しい時代に日本人の道徳が生きていて正直な義理人情に厚い人は類型としていたのである。それが80才以上の人になおみられる。その人たちは今のようないい暮らしをみんなしていない、働く一方であり遊ぶこともしらない、そのことに不満はあってもそういうものであり日本人としての道徳は保持していたのである。日本人は道徳的には進歩していない、退化してしまったのである。それは人間が劣悪になったということである。確かに物質的豊かさは享受しているが人間そのものは道徳的面からみると劣化してしまったのである。人間そのものが変質してしまったのである。不思議なのは貧乏だからモラルの面からみれば悪いとはならない、むしろ豊になってもモラルは低下するということである。ただでは80才以上の人の価値観がすべていいとはいえない、全く消費を認めないということはいかなる良きものにも金は払わないということでもある。そのためこんだ金はどうするのか、ただ自分の身の安全、病気になったとき介護のためにだけしか使う価値を認めないとなるからだ。そういう金の使い方は若者に反発されるのは当然だろう。

それにしても人間は基本的な道徳が失われたら社会そのものがもはや維持できない、互いに信用できない、疑心暗鬼になっていたら心休まるときがなくなってしまうのである。それが実際に監視カメラとかコンビニでの店長の仕事が万引きを防止するために監視カメラを見ていることだとなっているのだ。実際に客が来てもいつとられるのか、心休まるときがないのだ。こういうことは売る方でも楽ではないとなる。それは社会全般にそうなっていて人を信用できなくなってしまったのである。だから人間の友は今やペットだということも当然だなる。人間は信用できない、欲が深く親子でも子は親に財産だけを求める。だから遂にはペットに財産を残すとまでなるのも奇妙ではない、まさに現代の状態がその極端化した中に現れている現象なのである。

ロ-マ帝国が繁栄して頽廃したのも豊かな富を得た結果、道徳的には堕落した。その結果として野蛮人だったゲルマン人に蹂躙され支配された。日本もそういうふうに頽廃して滅びてゆくのかもしれない、その軸となるモラルが消失したら骨がないような人間、社会になってしまうだろう。アメリカのように富にすべての価値を置けば必然的にそうなってしまうことは予測されていたのである。

引用した文はどこからかの本などからの引用なのか?2ちゃんではそういうのがある。
前も読んだことがあるような気がするからだ

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