2007年06月02日

奈良と京都の相違 (文化創造には歴史の継続が必要)

奈良と京都の相違 


●俳句、短歌は分類に適している

 
秋篠はげんげの畦に仏かな 虚子

塔古く雀の群れてげんげかな−奈良 
 

俳句は一番分類に適している。季語ごとにも分類できる。だからインタ−ネットのキ-ワ-ド検索に適している。それでいつもキ-ワ-ドで同じようなものを調べているのだ。
そしてインタ−ネットには本の紹介とか古典のなかの一部を引用したものが多いから
こんな俳句や短歌あったのかと参考になる。ある人が引用したものをまた読むということが多くなるのだ。人間まず読書の量は極限られている。源氏物語でも読めるのはほんの一部である。興味ある人は読むが他はほんの一部であり古典でもあらゆるものがほんの一部しか読めないのである。人間はつくづくどんなに生きても旅をしても読書をしても知ることはたかがしれていることがわかった。どんなにがんばってもほんの一部分しか知ることができないのが宿命である。世界旅行してもこれは同じである。世界中を詳しく知ることはできない、時間が限られているからだ。一面インタ−ネットの検索は効率的なのである。一部分を自分の興味あるものとつなげて読むのである、musubu(結ぶ)のである。


としをへておなしさくらの花の色をそめます物は心なりけり(藤原公時朝臣)

みな人の心にそむる桜はないくしほとしに色まさるらむ(前左衛門督公光)
 
そめますとか色まさるとは毎年見る同じ桜なのだが何か違う、色合い深く心にしみる桜となっている。これも同じ心境から生まれたのだ。短歌でもこうして同じ心境を歌ったものを並べてみる、分類すると一つの世界が生まれるのである。
 
●奈良と京都の相違
 
奈良にはげんげがあっているのは奈良の歴史は京都とはかなり違っている。奈良は万葉の時代だから日本人の原点の場所である。飛鳥から奈良は天皇自体が単なるシンボルではない、象徴としての王ではない、実権をもっていた王である。大きな天皇の古墳がそれを示している。京都は平安時代になると実権をもった天皇ではなく象徴としての天皇になっていった。でも京都は明治維新まで権力争奪の中心都市であることには変わりなかったのだ。でもその権力の実体は天皇にはなく僧侶、僧兵とか地方の侍、平家−源氏とかに移行していたのである。そして京都は天皇がいることで御所があることで権力争いの場として都として機能してきたが手工業の文化都市としても千年の都として維持されたのである。これはフィレンツとにているといえばにている。
 
奈良はどちらかというとロ−マではないか、すべての道はロ−マに通じるというとき奈良は日本国家の基となったところだからである。奈良時代にみちのくの蝦夷征服も完成して日本国家が形成された。その象徴として奈良の大仏があったのだ。奈良の仏教でも奈良は国家鎮護的仏教でありより素朴であり京都とはかなり違っている。京都は観光化した仏教で坊主は嫌いで奈良には素朴な仏教があるという見方もそこに住んでいる人にしか感じえない見方がでてくるのもそのためである。(菊の香や奈良には古き仏たち−芭蕉)この句にもそういう意味があったのだろう。ロ−マも横暴な荒っぽいところがあるのだがヨ−ロッパに統一した政治世界を作り出したのだから奈良が日本国家を統一したのとにている。歴史は日本史だけを勉強しても興味は限定されて視野が狭くなる。かといって世界史だけでも興味がでてこないのである。必ず両方の勉強が必要なのである。これは郷土史と日本史を勉強することでも同じなのだ。
 
●永続しない都(文化には歴史の継続が必要)
 
奈良や鎌倉も短命に終わったところからみれば失敗した遷都と言えるかもしれない。また信長の安土や秀吉の大坂、軍部によって満州国に築かれた新京も、一場の夢と終わった
 
日本の永続した都は京都と江戸−東京しかないというのは確かである。平泉も三代で終わった。力を権力を集中させるものが必ずしもトップダウンではできない、何か別な力が働かないと都は永続しない、信長でも秀吉でも強力な権力者がいてもそれはトップだけの夢−難波の夢と終わった。平泉の三代の栄華もそうである。江戸も政治都市でありロ−マだった。すべての道は参勤交代で江戸に通じていたからだ。そのとき大阪は商人都市−経済都市−国家の台所であり京都は手工業や文化都市だった。役割分担が国のなかで明確だった。


政治都市はロ−マであり文化手工業はフィレンツなのだ。政治都市は武の世界になる。フィレンツのルネンサンスはロ−マの尚武の堅実な土台を基にして作られている。ロ−マとキリスト教文化とその上に人間性解放の自由な表現が一緒になりルネサンスが築かれたのである。日本で言えば奈良の素朴さと京都の洗練されたものとの結合があった。歴史の連続性があった。歴史の連続性が維持されるとき荘厳なものが生まれるのだ。歴史が分断されるとき文化も分断され分割され脆弱化される。仏教文化は飛鳥−奈良−京都−鎌倉まで変化しても連続性があり個性もあった。江戸時代でその連続性は断絶して武士の文化に変わってしまった。
 
日本にはヨ−ロッパのような広範囲な連続的歴史の発展がない故に荘厳なルネサンスが生まれないのである。明治までは江戸時代の文化との連続性があり明治は威厳がある時代となっていた。人間も明治の人となると威厳があった。その後日本人は歴史の連続性が分断されてしまった。特に太平洋戦争の敗戦は致命的であり明治時代のような矜恃をもつことができずただ欧米文化に習うだけになってしまったのである。文化の継続には歴史の継続更新発展が不可欠であり都もそうであってこそ永続するのである。ただ現代はグロ−バル化など世界的文化破壊の時代であり総合的統一的歴史永続的文化や都を作れない、分断、断絶する人類文明の終末期の様相を呈しているのだ。文化は総体であり部分ではないのだが細分化、部品化されて人間も卑小化されてしまったのである。

 
春の虹切れ端残る平泉 


秋の蝉三代に終わる栄華かな 老鶯

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