2010年12月10日

モラルなき団塊の世代以降は弱肉強食の価値観しかない


モラルなき団塊の世代以降は弱肉強食の価値観しかない 
                                                 
●戦中から戦前はまだ日本的道徳があった                                    


団塊の世代は若い世代からいつも責められていて評判が良くない、人間の社会は世代的に一つの塊として特徴がある。明治の世代は人間として気骨があったとか義理人情に厚いとか評価が高い。大正から昭和の戦前もそれなりの日本人的モラルをもっていた世代である。その人たちは80以上になっている、団塊の世代の親である。共通しているのは「もったいない」という言葉に象徴される、モノ不足、貧乏の時代に生まれた価値観を共有している。必ずご飯粒一つぶまで残さないで食べる。働くこと自体に価値があり金はためる一方であり消費に価値を見出さない世代である。これもアンバランスな一方的な価値観であるがモノを無駄にしないということでは評価できる。80代以上の人はまだ日本人がもっていたモラルを有していた人が多い。
モラルというときむずかしいことではなく宗教的高いモラルではなくその国はその国の道徳なくしして国は成り立たないのである。義理とか恩とか人情に厚いとかも明らかにモラルとして通用するものである。現実にそういうモラルがなくなったとき人間社会がいかに荒廃してゆくのか現在の状態を見ればわかる。


80代以上の人だと日本人らしい日本人がいる。その人は学はないけどとにかく馬鹿正直で情に厚いのである。借金してもそれも一〇万くらいしても正直に必ず返す、そして恩になったと忘れないのである。それで私の家族の一人が認知症になったときその人だけはかわいそうにと相手してくれたのである。他は誰も相手しなくなったのにその人だけは相手してくれたのである。義理と人情と恩を感じる人である。学もない庶民にすぎないけどそれが今になるとそういう人はめずらしいとなるのだ。なぜなら団塊の世代から以降の人にはそういう人はいなくなったからである。戦前世代にはまだ義理と人情に厚い人はいたし教育でも国としてのモラルを教えていた。教育勅語であっても戦争故にすべて否定されたが戦前の世代は明らかに日本的道徳を教えられていたのである。だからみんな貧乏だったけど盗むなとか悪いことはするなとか最低限のモラルは有していた、守っていた。その中にいつの時代でも犯罪を犯す人はいる。でも全体的に見たとき明らかにその国の道徳を守る人が多数だった。だから八〇代以上の老人はまだ好感をもてる世代として扱われている。


●日本人の道徳はアメリカに戦争で負けて根こそぎ失われた


しかし団塊の世代になるとモラルなき道徳なき世代となった。日本がアメリカに敗戦した結果として日本的伝統的良きものを戦争のためにすべて否定してしまったことにあった。その中にいいものもあったのである。それがすべてアメリカに戦争で負けた結果悪いものとされてしまったのである。だから知らず知らずの間に日本人はアメリカ人化されていたのである。そのことを団塊の世代以降の人自体気付いていない、なぜならでは日本人の道徳とは何なのか知らない世代だからである。団塊の世代は戦争に負けてアメリカ的な価値観一辺倒にされたから日本的古来かある価値観を知らないのである。では新しく入った価値観としての民主主義もこれも自らの中で歴史の中で培われたものではなく突然アメリカから押しつけられたものなのである。そして民主主義とかも実際は何なのか理解してしていなかった。ただ自我の自由な欲望の拡大化であった。抑制のない自我の自由な欲望の追求だった。「自由だ、自由だ」というとき何でも自由だというとき悪いものまで自由だとなってしまう。自由をとり違いてしまっているのだ。そこに混乱が生まれてしまった。宗教の自由がカルト宗教団体を跋扈させてオウム事件を生んだり

政治と一体化した創価を生んだりした。それも本来の宗教ではないにしろ何でも自由だからこそ生まれたのである。

団塊の世代が批判されるけどそもそもの原因は日本がアメリカに負けた結果としてアメリカ化されたことが最大の要因だったのである。アメリカの価値観をすべて受け入れた結果としてアメリカ化された日本になったのである。戦前までは日本的モラル道徳価値観が確かにあった。でも団塊の世代以降は知らないのである。自分を滅して国のために尽くすとか滅私奉公とかがあった。そういう価値観は全く否定されるようになった。それより個人が大事であり個々の自由が大事だとなった。でもその価値観もとり違い個々の制限なき自由な欲望の追求となったのである。現代とは明らかに欲望を抑制するモラルがない、モラルとは人間の歴史がはじまって以来何かしら欲望でも抑制することからはじまった。そうでないと共同体も維持できない、滅私奉公というときやはりそこには自我の欲望を無限に拡大するのとは違う、抑制するものを価値観として推奨した。個々の欲望の自由な拡大化をすべて容認することは非常に危険なことである。江戸時代でも分を守れと言っていたのはそのためである。侍でもそれぞれの身分がありその身分を守らないと社会の秩序が維持できないのである。そもそもそうしなければ御家大事にして仕える人などいなくななっていただろう。誰も犠牲になるのは嫌だとなるからだ。


●団塊の世代以降は弱肉強食、欲望の無限の拡大、達成しかない


現代のモラルなき団塊の世代以降の人々はまず自分の経験でも受験戦争からはじまった。数が多いから他者を蹴落としてもいいからいい暮らしをしたい、得をする職業につきたい、利だけを優先された教育になった。戦前は大学はエリ-ト中のエリ-トが行くところだから庶民とは関係ない、エリ-トとして養成されたし誰も行けるものではなかったのである。だから社会全体で受験競争など起こらなかったのである。団塊の世代は数が多いから教室にも入りきれないとか競争が熾烈であり他者を蹴落とすこと競争に勝つことが第一とされたのである。そこからモラルなき世代が形成されてきたのである。国のために尽くす、滅私奉公など古くさい馬鹿げているとなるのがこの世代以降の特徴である。戦争に敗れた結果そうした価値観が全く否定されてしまったのである。そういうモラルを否定したとき民主主義はただ個々人の無限の自由な欲望の追求になったのである。モラルが何らかの抑制であるときそれがなくなった。そうなると価値観として金が唯一の価値観となる。すべての欲望を充たす象徴として金があるからだ。そしてグロ-バル市場化したとき金の価値はますます強大になってきた。欲望も世界に広がり無限化して抑制ないものとなる。


本当に戦前の世代にはまだ日本人としての素朴な正直な義理人情に厚い人がまだいた。欲望を抑制する人がいた。しかし団塊の世代以降はそうした欲望を抑えることは教えられていない、ただ自我の欲望の自由な拡大が奨励された。消費が奨励された。だから団塊の世代以降はモラルがないから一般的に信用できない、人間として信用できないのである。自分も団塊の世代だからこういうのも矛盾しているけど全般的にはそうなっている。もちろんモラルというとき全体的になくてもモラルを有する人はいる、でもそれは個々でモラルをもっているのであり社会全体として戦前のようにはないから人間は信用できない、危険な人が多いとなってしまったのである。団塊の世代が今老人化してゆく、高齢化してゆくけど八〇代以上の老人とはかなり違っている。「もったない」の世代とは明らかに違う、欲望の制限のない世代であり暴走老人が話題になったように非常に危険な人たちになってゆく。贅沢も覚えたし様々な欲望を追求してきたから待遇でも悪ければ不満が大きくなるだろう。まだ分をわきまえるとかはない、だからヘルパ-とかお手伝いとか介護関係などには一番向いていない人たちなのである。そういう福祉的な仕事は犠牲が要求されるときそれに耐えられないのだ。威張って仕えさせる方にはなるが自己犠牲的に仕える人にはなりえないのだ。滅私奉公という価値観もない、自らの欲望をひたすらに自由に追求して充たすことが価値観になっていたからである。 弱肉強食の世界では弱者となる老人は誰も敬意などもたない、若者は老人に敵対化して弱者は無益なものは死んだ方がいいとか安楽死させろとかナチス的にさえなるだろう。そうした心情は抑えようがないからやがて爆発して現実のものになるのである。大勢の人たちが持っている念は怖い、その念が個々人でも犯罪になり全体の社会でも戦争とかへ導くのである。


●モラルなき社会は崩壊


小額の借金でも恩を感じて返していた正直な義理堅い人のことを最初に述べたが今はこの逆なのである。借金など返す必要がない、かえって貸す方が悪いのだとかなっている。そもそも消費が美徳となったときアメリカのように借金でカ-ドで金がなくても消費してそれが引き金となり世界的大不況になったように借金は国レベルで奨励された。国でも借金は紙幣を増刷してちゃらにすればいいと言っているのだから個々の借金もちゃらにすればいいとなる。つまり借金   は返す必要はない、貸した方が悪いのだとなる。小額の借金でも恩を感じて返していた義理堅い日本人とはあまりにも違った人たちが団塊の世代以降の人たちである。団塊の世代以降の人たちはまずなにか恩義をあってもそれを恩などと感じない、だから義理も感じない、モラル的に一般的にそうなっているのだ。ただ得すればいい、遂に金がなければ金があるところから借金して返さなくてもいい盗めばいいというまでになる。そういう恐ろしい時代である。もちろん戦前でもすべていいとはいえないがそれなりに日本人のモラルがあった。

今はまるでない、個々にはあるにしてもそれは全体としてのモラルではない、だから社会全般として互いに信用できない社会となってしまったのである。その根本的な原因はアメリカの価値観が戦争に負けた結果として社会を支配してしまったためである。アメリカの価値観がすべて悪いものではないにしろそのいい点、キリスト教などのモラルをとり入れていないことも致命的だった。モラルは欲望の抑制だというとき仏教でもキリスト教でもイスラム教でもそうである。中国にもモラルはあり論語でもそうである。そうしたものがないとき民主主義は資本主義は欲望の制限のなき拡大化になる。現実に団塊の世代以降はそうなっているのだ。いづれにしろモラルなき社会は野獣化する弱肉強食の世界であり社会は崩壊してしまうだろう。日本人にはまだ犯罪が少ないとかだからいい社会だとか言っているが現実の荒廃はかなり進んでいる。田舎でもそれは同じである。団塊の世代以降はもう昔からの価値観をもった日本人はいない、みんなアメリカ人になっているのだ。もちろん個々人にはモラルを維持して優れた人はいるが庶民レベルでのモラルは消失しているから社会全体の荒廃はすすむのである。特に欲望が充たされていた高度成長が終わり不況が常態化して贅沢ができない、今までのように欲望か充たされないとなるとさらに不満が増大化して社会に犯罪がふえる。田舎でも小さな盗難やら犯罪がふえる。人は信用できない、団塊の世代が言うのも変だが同世代は協力できない、信用できない、殺伐とした時代となっているのだ。
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