晩年や相見知りたる鴨群れぬ
なごみつつ今日も暮れにき鴨の群れ
荒々しい資本主義の時代は地域社会の調和や他人をかえりみる余裕を失った生き残りをかけた競争の時代といえる。ひとりひとりの立場の違いによって深刻な対立か生まれやがて「日本の分裂[がはじまることをおそれなければならない。 「不安社会を生きる」内橋克人
この本をブックオフで買った。そしてこの文が注意をひいた。このあとにグロ-バル市場化による社会の分裂を指摘している。海外に出る会社と残る会社とでは価値観が変わり分裂がはじまる。すでに海外進出組と国内居残り組では価値観が違ってくる。これだけではない、今や社会はいたるところで深刻な分裂状態なのである。若者と老人は不倶戴天の敵のようになっている。
老人に敬意をもつ若者などいない、格差社会となりその格差でも人間は分裂してくる。分裂というとき男と女も和していかない、離婚がふえてくる。家族も和合しない、老人と子供は分裂して金だけを子供は求めてゆく、自分自身もそういう深刻な分裂を経験したからショックだった。
いつの時代のこと言ってるんだよ?
地方がどんだけ殺伐としてるか知らないんだよ。
都会は冷たくて田舎の人間関係は人情に溢れてるとか全くの嘘だから。
テレビでそう煽ってるからな
で、人情を求めて都会から田舎に移住してショックを受けると
田舎が閉鎖的というわけじゃなく、都会と変わらんわな
今時の日本はどこでもいっしょ
田舎でも人情などなくなっている。田舎になにか過去の牧歌的なものを求めるのは無理である。田舎も現代社会のなかに生きているのであり中国の少数民族にでも行かない限りもはや昔の田舎はないのだ。荒々しい資本主義というとき誰も金だけが頼りの社会に変質したのである。その結果として無縁社会にもなる。無縁社会とは人と人とのつながりが消失してゆく社会である。それはとりもなおさずいたるところで分裂してしゆく社会なのである。人間と人間はもはや信頼はなくなり人間は人間にとって狼となる。金が万能となり金のためなら人は狼になる。人を人とも思わない、金のためには人など殺害しても平気だとなる。資本主義と無限に人間の欲望を刺激する社会である。その欲望は限りない、だからラオスとかの遅れた国でもテレビが入るとそのテレビが欲しくていたけない少女を街に出して売春させている親がいる。まさにここでも親と子は分裂してゆくのである。