2010年12月03日

<埼玉女児暴行死>亡きがらに虐待の跡(人間は窮迫するとき危険な状態に・・・)


<埼玉女児暴行死>亡きがらに虐待の跡


毎日新聞 12月3日(金)2時35分配信
 埼玉県東松山市で宮沢愛(まな)ちゃん(5)が同居のベビーシッター、柳瀬純子容疑者(34)=傷害致死容疑で逮捕=に虐待され死亡したとされる事件で、愛ちゃんの亡きがらが2日、ひつぎに納められた。ほおにもおでこにも、虐待を受けた跡とみられる痛々しいあざが残っていた。



この事件に興味もったのは自分の家と共通していたところがあったからである。一見にていないようでもにていたのである。この子供の両親は離婚して男親がひきとった。ところが男親は仕事で忙しくて子供をみていられない、それでインタ-ネットの出会い系サイトで出会った女性と知り合いベビ-シッタ-を月10万で頼んだ。この人は遠くとも言えない20キロ離れて住んでいた人である。ここで問題になったことはなにか?まず出会い系サイトで知り合ったということは相手の素性とかがわからないことである。どういう人なのかわからない、これが家で働いてもらうときは一番大事なことだった。その女性は相当に問題ある人であった。普通の人ではなかったのである。でも夫は男親になった人は仕事は忙しい、子供のめんどうみるのは大変だとなり簡単に出会い系サイトで出会った人に頼ってしまった。その男親はせっぱつまっていたのである。

そういうときは相手のことをあまり考えずに頼ってしまうのである。これはいいやと簡単に家のことを子供のことをまかせてしまったのである。家の中に他人をひきいれまかすことは非常に危険なことである。この場合は子供の命をなくしたから経済的損失とも違う、もう命をなくしたらその命は帰ってこないから経済的損失より大損失だったとなる。この男親は前いたところでは子煩悩と回りの人が言っていたから男親が虐待するような人ではなかった。一時児童相談所にあづけようとしたというのもわかる。でもそういう公共施設もなかなか入るのにめんどうなとこ5ろがあるから手っとり早く頼める人に頼んだ。前いたところでは近所の目配りがあったが最近引っ越したところではなかった。それで猫でもギャ-と言ったとき死んだのかと回りの人が言っていたし子供がいたのかどうかもわからなかったというのも事件が起きた一因になっていた。近所の助けが目配りが全然なかったのである。


このことは自分の家と実ににていた、子供ではないが老人のめんどうも子供とにている。特に多少認知症気味になるとあかんぼうと同じになるのだ。だからたやすくだまされる金の管理やらいろいろ家のことすら管理できくなるのだ。そういうとき安易に外からきた知らない人に頼る、これは渡りに船だとなる、その人がどういう人かよりどうしても自分が困っている、その窮迫していることでついつい相手のことをかまわず頼ってしまうのである。そういう家が空白になる、隙ができるとき悪い人でも簡単にいい人と思い引き入れてしまうのである。それは今や素性が知れない都会だげの問題ではない、田舎でも同じである。田舎も隣近所のつながりが希薄になっている。その人は20キロ離れたところに住んでいたというが一キロもはなれていないところでも問題が起きた。世の中にはいろいろ問題な人がいる。悪い人もいる、この女性はそもそも相当問題な女性だったのである。出会い系サイトで知り合った、即製で知り合ったくらいではその人のことはわからない、でも男親は困って窮迫していたからその人のことをいろいろ考えるよりとにかく子供のめんどうをみてもらえばいいと思った。自分も老親のめんどうをみてくれればいいと思ったのとは同じだった。つまりそういう窮迫したとき相手がいい人悪い人など考えないのである。悪い人でもいい人に見えてしまうのである。


でも実際に相談する人もいないしそうなりやすいのである。男親は仕事で家に帰ることもできず全部その出会い系サイトで知り合った人にまかせてしまったのである。これも自分も同じだった。全く家のことをまかすことはよほど信用がない人でないと危険である。ここでは子供のことだったが命までなくした。親戚とか隣近所とか頼ることができずにそうなった。自分もそうだった。離婚して妻がいなくなる、男親だけでみようとしても仕事が忙しい・・そうして家がせっぱつまってくるとき危険が待っている。いつの世の中も戦国時代である。戦国時代は相手の敵の弱点につけいり攻めて敵をほろぼしてゆく、内輪もめを起こして家を混乱させて責めてくるとか相手の弱点、弱みにつけいるのが戦国時代だが今も変わりがない、油断も隙もないのが人間社会なのである。計画的に敵を倒そうとする、そこで陰謀も当然ある。そういうことが実際個々の家でもありうるから人間は怖いとつくづく思った。相手が弱いとき一番の狙い目なのである。もし復讐するなら相手が弱くなったときである。病気とかなにか困窮するときねらうのである。こうなると人間も悪魔的になる。まさに弱肉強食の世界である。戦国時代はまさにそうだったのである。


家の中で働いてもらうにはなにか特別な金だけではない動機が必要である。そして何かしらその家に対して敬意とかもっていないとできないのではないか?掃除するだけでも何らかその家に深いかかわりがないと敬意のようなものがないとできない、単に掃除しているだけではないからだ。その家に仕えその家を思う心がなければ掃除すらできない、でも外から家に入る人はそういう気持ちがほとんどない人である。金をもらいばいい、それだけで仕事している。でもそれだけで仕事できるのかとなるとその動機が問題になる。人間は「神が心をみている」というふうに心を一番大事にしたように動機が一番大事なのである。ドラマの話だがその人は旧家に仕える人だった。金庫番までさせられていたのは信用があったからである。その人はすでに子供のときからその家にいたのである。母親と一緒に働いていて母親が死んだあともその家の子供のように育てられた。それで恩義に思い仕えていた。そういう深いつながりが子供のときからできていたから信用されていた。家族の一員と同じになっていたのである。つまり信用は短い時間ではできない、長い時間がかかる。コンビニでも十年間通いその時一回も不審がないなら一回だけうっかりミスで支払いを忘れてもあれおかしいな今回はどうしたのだろうと疑問になる。実際に支払いを忘れることも人間はあるのだ。ともかく十年間は信用の時間だったのである。そこに十年くらいいた店員もいたからである。信用は短い時間ではできない、出会い系サイトで知り合ってすぐに信用関係はできないのである。

タグ:児童虐待
posted by 老鶯 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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