職業を金だけで計ることの疑問
人生とは仕事が生きがいなのだ。本当に画家になりたい人は金にならなくても絵を描いているのに間違いがない、金にならないから画家はつまちらないとして絵を描くことをやめるような人は本物の画家ではない、別な仕事に向いているのだろう。ともかくどんな人でも能力があるにしろないにしろ人間は仕事が必要なのである。家事手伝いとか掃除の仕事でも立派な仕事だった。病院を掃除している人は60才すぎているけど金は安いけど緊張があるからしているという、シルバ-センタ-でも金を得るより実際は老人の生きがいを作るためだった。人間は六〇才で会社を退職させられることは残酷だというのは本当である。人生が会社とともにあったのにその会社から断絶し切られてしまう。地域社会などに生きがいを見出すのは至難である。なぜなら地域社会自体崩壊しているからだ。人間はまず金を計り金が優先される。しかし仕事をすべて金で計られるのだろうか?仕事の理想は仕事に使命感、ミッション、をもつことであり天職に従事することである。天職というと何か医者のような高級なものと思っているが家事手伝いのようなものでも立派な天職であり実はそれしか活かす道がない女性が結構多いのだ。掃除も天職なのである。
もしそういう仕事もないとしたら何をしているのか?ただ遊んで暮らすのかとなる。退職して何もしていないことは本当にかえって苦しいということがわかる。退職金をもらい、多額の年金をもらって遊び暮らせるからいいではないかとなるが本当に趣味などの世界で生きがいを見出せる人は少ないだろう。芸術家は別にして一般的にはそうではないか?人間に生きがいが必要である。生活は保証されても生きがいがなかったら淋しいものとはならないか?ただ毎日他人の給料をうらやみ仕事を金だけ計っていることは何か変ではないか?金からしか計算できないことが何か変なのである。仕事にはそれに見合った収入はあるべきである。でも仕事そのものにも生きがいがあるはずであり掃除婦にししても今日から病院の掃除はしなくていいですよ、家の掃除だけでいいですよとか言われたら淋しいものとなるだろう。病院の中で掃除することは患者にも眼をとめられ患者を励ましたりして患者とかかわる掃除婦なのである。つまり医者や看護師だけではない掃除婦も患者を助ける一員として共同で仕事しているのである。だから緊張感があり生きがいあるということになるのだ。