崩壊する農家(南相馬市の原町区の大原の人の話しを聞いて)
●大原は山と結びついていた
●農業の機械化も昔からの大家族を崩壊させた
その人は一年前くらいに妻をなくした。それから一人きりの生活だった。近くに娘がいても息子がいても大きな家に一人暮らしだった。息子は市役所勤めで街内に住んでいる。でも市内まで車があれば大原が近いのに一緒に住まないというのは変だと思った。でもみんな今は親とは一緒にすまないという、そこで猫を飼っていて猫のことを心配していた。留守にしている内障子を破られていたとか言っていた。毎日息子か誰かしら親族が来て話ししていた。自分にはうらやましいと思ったのだが一緒に娘と息子などが近くにいても住まないというのは変だと思ったが今はこれが一般的だというのも時代である。みんな会社勤めが優先される、現金収入が優先される、金の時代となった。農村にも貨幣経済が入り込み金中心の世界になった。農業より土地より会社勤めで金を得ることが優先される時代になった。労働の単位も機械化により小さな家族単位になった。今高齢化とか小家族でも農業が継続できるのは農機具のおかげである。昔は大人数で協働しないかぎり農業はできないものだった。それで今でも農家は連帯することが多いが昔は協働労働だからさらに連帯感があった。この農機具が金のかかるものなのだ。部品を取り替えたりするのに一〇万とかいろいろともともと高いのに金がかかる。七〇〇万の使っていたとか15町分の田や畑をもっていた人は二千万だった。協働労働の人力より機械に頼る結果そうなったのである。機械貧乏で農業をつづけられない人もでてきた。これも工業化によって農業を変えてしまったのである。
●資本主義の金中心の経済でモラルは崩壊した
大家族制でありえたのは農業は多人数でしかできない、子供は労働力として貴重なものとして育てられた。当然会社勤めはないから働く場は村であり家だった。その中で老人もありえた。老人が家と別個になるということはなかった。大家族制が農業を生産の基盤にしたとき成り立っていたのである。工業化が大規模になり農村から人々が都会に出てきて団地に住む核家族が生まれた。農業の崩壊、家族の崩壊は社会の変化のためでありそういう社会作りを推進してきたからである。その結果として豊になった。でも人間はつくづく考えるけど豊になることと幸福の度合いは比例しない、そもそも人間にとって幸福というのは計れないものである。現代は確かに便利であり豊でありこれほどいい社会はないというのも本当なのだろう。貧乏を知らないからそういう人はノスタルジックに昔を偲ぶというのも本当である。でも幸福は計れないものであり豊になったからといって比例して幸福になったとはいえない、社会自体も良くなったとはいえない、社会は本当にモラル的に貧乏な時代よりも低下した、金中心となり義理人情など昔から人間が美徳としていたこともなくなった。ただ素へての人が金を追い求めているだけである。金の力が余りにも大きくなりすぎたのである。その前にモラルは簡単に無視される。人間の関係も金であり金で破壊される。
最近自分の家でもつづけてそのことを経験したからわかった。人に親切にするのもあくまでも金であり老人でも親切にする人などいないのだ。そのことを現実に目の当たりにした。あまりの衝撃だったが人間の関係も金であり金で破壊されてゆく、そして行き着く所は無縁社会だというのも本当にうなづける。資本主義の世界はモラルなき世界となり崩壊するのだろう。金は否定できないにしろ金がモラル的なもの人間がもともともっていた正直さや素朴さを完全に破壊したのである。人間は豊かさを求めて本当に心は貧しいものとなった。モラルも崩壊した。モラルというとき道徳というとき別にむずかしいことではない、義理人情も道徳であり嘘をつかないとか弱者には親切にしろとか人間として当たり前のことが崩壊したのである。奇妙な話だが刑務所や病院のようなところに人間の人情が残っているというのも現代を象徴しているのかもしれない、そこでは人間は辛うじて人間としていたわりあい助け合うということがある。だから世間に出ても刑務所に帰りたいという心境がつくづくわかるほど人間社会は金中心の世界となりモラルなき無縁社会となったのである。豊さ便利さを否定しなくてもそれ自体人間を幸福にしたかどうかは計れないのである。
いづれにしろ農家の跡継ぎ問題は深刻である。大原の人も土地があってももう跡を継いで農業を維持できなくなる。一人だけ大きな家に住んで病後の体で自分のことをするだけでももはやできない、そしたら土地も活かされないし家も空家となってしまう。農家も崩壊してしまい村も過疎化して崩壊してしまう。街の近くでもこうした農家がふえてゆく、農業は土地と密接に結びつき代々土地を耕し守るものであった。そういう人間の生活が崩壊したとき昔からあった助け合うとかいうモラルも崩壊する。都会の人にとって常に農業など生産的にあわないとか批判しているが都会の行き着く先は金だけが頼りの無縁社会となってしまう。別に農村がすべていいとかいうのではなくその差が大きくギャップも大きくなりすぎたから問題なのである。都会もあり農村も並行してあるのが理想である。それがかたよりすぎて農家が農村が崩壊してゆくのが問題なのである。
諦めずに希望を持つって大事な事ですよね。
七転び八起きでも良いから希望を失わずに奇跡に近い事でも呼び起こしたい。
皆が投げやりにならずに、水面下で諦めない努力の積み重ねがあるから奇跡も呼び起こせるのだと思います。そして、形として見えないけれど以心伝心的な大きな力も存在するのだと思います。
経験者は語る…です。
>戦後は食い物がなく猿まで食った
えっ!? ちょっと、分からないんですけど…。
戦後、人間がお猿さんを食べたのですか?
って言うか、人間は爬虫類でも両生類でも昆虫でも食べちゃいますから、驚くことなかれかもしれませんが…(^_^;) それにしても、残酷です。
>人間は豊かさを求めて本当に心は貧しいものとなった…義理人情も道徳であり嘘をつかないとか弱者には親切にしろとか人間として当たり前のことが崩壊したのである。
今情は寂しい世の中となりましたね。
当たり前の事が何故続かないのか…。
この世は、弱者を守りましょうと言いながら弱者を泣かせたり利用する矛盾した人、偏見や差別視する人、良い時だけよってきてハイエナのように集る心の貧しい人が多いので、疲れますが上辺と本音を見極めながら自分自身を守っていかなければ生き延びる事が出来ないサバンナのようですね。
IPアドレスで特定可能ですね。
最近、日本語が理解出来ない愚かな大阪人が増えているようです。
関西のイメージが最悪になりますので、いい迷惑です。
戦後まもなくは極端な食料難でした
猿でも何でも食べたでしょう
なんにもない焼け野原になってしまっいましたから
その苦労はなみたいていのものではなかった
団塊の世代はそういう食料難のとき大量に生まれたのが不思議です
自分の父親はミルクをもらかために長い行列に
並んでいたとか子ども育てるにも大変でした
学校の給食はまずいアメリカからもらった
脱脂粉乳でありまずくて吐いた記憶があります
そういう時代に食べるものがないのに
そんなに子供を多く生み育てたのが不思議です
なぜなら今あの当時の食糧事情を考えれば
あまりにも差が大きいですから