睡蓮やぱっくりあいた鯉の口
犬なかず糸瓜がぶらり門もなし
豊かなる実りや糸瓜のぶらりかな
実際に中国と戦争になったらどこが得するかとなるとアメリカとロシアなのである。中国と日本は戦争の結果疲弊消耗する。アメリカは援護射撃したとしても中国と日本の戦争であり第三者でいられる。もちろん今回の判断は国位を落としたことは確かである。でも日本がアメリカや中国やロシアから自主独立路線をとるときその負担は太平洋戦争のようになり大変な犠牲を払わさせられる。そして結果的に自主独立を獲得したとしても得するのはアメリカとロシアになっているのだ。朝鮮戦争では日本は参戦する必要はなかった。経済的に得しただけである。特需でもうけただけであった。ベトナム戦争でもそうである。でも今度はそうはならない、その犠牲はまた太平洋戦争のように大きなものとなるのだ。今度はアメリカの味方があるといっても中国と戦わさせられるのは日本なのである。今回の尖閣諸島問題は本当になぜ日本があんなだいそれた戦争を起こしたか具体的にわかった。日本が自主防衛路線をとるときアメリカにも中国にもロシアにも頼らないときその負担はあの戦争の犠牲だったのである。そういう歴史的経過があって中国に屈伏してしまった。中国の力がそれだけ大きくなってしまったのだ。アメリカの犠牲となって中国と戦うというのも疑問なのである。では日本が自主独立路線をとると太平洋戦争の二の舞になるというジレンマに陥ってしまった。
ともかく国と国の間では力でしか調和がない、バランスがない、力ではなく別なもので調和できないのが根本的な不幸がある。番犬がいなくてもいい世界が平和なのである。
尖閣諸島漁船衝突事件で中国人船長を釈放後、那覇地検の判断に対し与野党からの賛否両論が報道されましたね。過去の経験から平和を強く望んでいあるであろう沖縄や生粋の沖縄人祖母が言っていた事を思い出し、上記の俳句が浮かびました。東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘された為に、釈放された船長も領海侵犯と第一に疑われたのでしょう。(又もや人間の醜い強欲を感じました。)でも、当の沖縄は戦時戦後の地獄の苦しみや争いの虚無感、本土から見放された疎外感を知っているから、国民への影響や今後の日中関係など先見の明をもち願わくば信じる者は救われるの精神でありたいのではないかと推察します。
今の御時世は疑う事から始めなくては自分を守れない現実的な嘆きもあり、釈放された船長にも帰りを待ちわび睡眠出来ない位に案じている家族がいる事を思えば、私の中にも極論対立が生じ正しい結論が分かりません。いずれにせよ、政界のみならず何処にでもいるような指揮権のない者の野次はウンザリですね。
今回の判決を中国の圧力に押されて対外的敗北だと言った人もいますが勝ち負けの問題だとは思えません。この地点で裁けば、日本への怨みが癒えず友好関係は永遠に築けないでしょう。
今後省略。
●なだ声→涙声
何回も投稿しスミマセン。
自作品は、俳句でなく一応短歌です。
まだまだ勉強不足で至らぬ作品ですね(^_^;)
Q 海原だけでは季語にはなりませんか!?
ならば、●秋海に ●秋ぬ海(方言;秋の海)
しか思いつきません。御手解きを…。
★ウチナーの 哀史記した 海原に 耳を澄ませば なだ声聞こゆ
これはどこも直すところがないでしょう。哀史記した→哀史記したる・・これくらいでしょう。
沖縄の方言、言葉を使っているから地元の感覚がでている。
沖縄に深くコミットしている人、関係していないと作れない短歌でしょう。
作者を知らなければ沖縄人-ウチナ-が作った短歌とみられるでしょう。
自分には沖縄の海を見たけどそういう声が聞こえてこなかった、ただ美しい海だけを見ていました、沖縄は実際は本土からは遠い、特に東北になるとさらに遠いですから
とにかく沖縄人(ウチナ-)の気持ちは複雑でしょう。アメリカの国の一部になっていたときは
日本に本土復帰したいという願望があった。でも戦争で一番犠牲になったという歴史が消えることはない・・・
沖縄は一時中国と深い関係があったように中国が近い、日本本土より地理的に近いことが中国のことをより身近に感じる、今回の中国の衝突した船は石垣島に連行されていた。
石垣島から与那国島まで行ったことがあります。その島は台湾の隣り合うように近いです
国境の島です。でも日本は陸地が国境でないから海に囲まれて海が国境になっているから国境線の意識が希薄なんですよ、はじめて尖閣諸島が国境線だということを危機感をもって意識したのが今回の事件でした。
沖縄には詳しいようですから次の短歌を期待しています・・・
初めて合格印を押して頂けました!
大学合格通知を頂いた時のような感激です!
\(^o^)/
短歌や俳句って難しいのですが表現したい言葉を探す事に集中するのが楽しいんです!
季語集を購入しなくても、インターネットでも調べる事が出来ますから便利ですね。
次の短歌…(^_^;)ビギナーですから、期待は小さ目にお願いします。
私には故お婆ちゃんや親戚や母という語部がいますので…。本土の人は沖縄の観光地や国際通りの華やかな面にしか視点がいかない人が多いと思います。戦地も人々が怯えながら過ごした防空壕も、今となっては観光化されましたが、飽食時代の現代人は物や人の真心に感謝する素朴さが失われつつあるのかもしれませんね。ウチナーの人々が、どんな思いで生きてきたかが分かれば、ただの避暑地とは思えない複雑な気持ちになり、今の時代を築いてくれた事に感謝し争い事を敢えて作る様な真似は出来なくなると思います。
沖縄には親戚も住んでいて自慢です。7歳の時に家族で沖縄へ行った時は、丁度、沖縄国際海洋博覧会(1975年7月19日〜1976年1月18日)が行われていたのですが、メイン会場の「アクアポリス(http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄国際海洋博覧会) 」という世界初の未来の海上都市をイメージした構造物が建造されました。海洋博終了後は、経営上の問題で平成5年に閉鎖し、平成12年には、上海へ売却されました。解体処分後の廃材再利用しか利用価値が無くなったからです。
現在の危機感は隠しきれないのも事実でしょうが、沖縄は中国にも恩があり中国の気持ちが理解出来るのかもしれませんね。