秋の灯の事務所にともり仕事かな
新刊の本を手にとり初秋かな
やっと猛暑も終わりである。今日も千葉県で三五度とかなっていたから今年がいかに暑かったかわかる。ここは三〇度を越える日はなくなっていた。でも千葉県で三五度だったのだから異常気象だった。百年に一度とかの異常気象は地球温暖化と関係あるのだろうか。最近西では暑いからやはり関係あるのか、江戸時代でも飢饉があったのは天候とか関係していた。どっちかというと冷害の方が影響していたろう。干ばつにより水不足も局地的にはあったが全体的に飢饉に見舞われたのは冷害だった。いくら暑くても水不足なら局地的にあっても日本ではどこかで雨がふっているからだ。相馬地方でも飢饉があり三分の一の人口がへった。それで越中などから移民を募集してなんとか人口をふやしたのである。その原因も冷害であり暑さによる干ばつではない、暑さも今年のような暑さだと農作物に被害が出たが冷害よりましらしい。冷害になると実そのものがならないだろう。今年の桃とかは果物がおいしいのは暑さのせいだった。毎日甘い果物を食べて体まで変わってしまった。おそらく暑い地方の人は暑さに適応した体になっているのだ。寒い地域の人もそうである。体自体が環境に適応しているのだ。東北地方で塩分が濃い料理なのは寒いから塩分が体をあたためるからそうなっている。南の暑い国の食べ物は果物はほとんど体を冷やすようにできているのも合理的である。栗などは体をあたためるとあるから北国向きであるが体をあたためるのは極めてまれなのである。野菜でもトマトなどでも体を冷やす食べ物が多いのだ。
ともかく秋になると今度は体をあたためることが気持ちよくなる。暑いさなかに北海道に避暑できなかったのがかえすがえすも残念である。今までは楽に行けていたのに肝心な時に行けなかった。一面命にかかわることでもあった。血の小便がでたということは相当に体が衰弱したからである。もともと自分はぜいたくと言われようが二〇代は苦しかったがそのあとは楽にしたから体が弱くてもこれまで生きたのである。つくづく文明が発達すれば弱い人間でも生きられる。縄文時代とか弥生時代とかではまず弱い人間は淘汰されて生きられなかった。条件が過酷であり弱いものはとても生きられない、こんなに人間は長生きできるようになったのは生きることが楽になったからである。そもそも高齢者がこんなに生きていること自体生きることが楽だからである。文明は空間の不便を克服した。金さえあれば暑いなら涼しい地域へ寒いなら暑い地域に簡単に移動できるのだ。いろいろな可能性が無限に広がったのが現代であった。だからこそ不満も無限に広がってしまったのである。ここにうまいものがあっても金がないと食べられないと不満がつのる。そういうことが非常に多いのが現代なのである。命にかかわるとなると臓器移植すれば生きられたのにとその不満は本当に大きいのものになるからあきらめきれない、金さえあれば願いがかなえられたのにとか不満が常に増大してゆくのが現代社会なのである。
ともかく雨がふり事務所に灯がともりやっと仕事をするのにいい季節になった。今年の猛暑は仕事すらはかどらないことがあったろう。外で働いていたら本当に死ぬ思いだったろう。その猛暑もやっと終わった。
気温は28℃との事ですが、長袖を着用しています。神の怒りが地上に落ちたかのように雷もゴロゴロ鳴っています。
今生の醜さを洗い流し、不協和音を鳴らしながら共に調和しようとしない人間の(エゴイストの)醜い心を浄化せよと、神は怒りを蒔き散らしているようです。もっと、もっと、大雨を降らせて怒って欲しい…一人でも多く、改心し互いを思いやり合う謙虚さや優しさを取り戻せますように…この神の怒りの様にも解釈出来る大雨の日は、都会も久々に静粛です。永遠に止まないでほしい…そんな気になります。雨が止めば、もっと秋らしくなりますね。