2010年08月30日

線路に眠るでんでん虫-「幸福駅」(詩)


線路に眠るでんでん虫-「幸福駅」

 
 

宗谷本線-稚内近くの無人駅

線路にでんでん虫が三匹ほど眠っている

いつ電車は来るのだろう

いつまでも待っている

故郷から遠く離れた稚内

そこに自由な時間が与えられていた

故郷を遠く離れて拘束されない時間

広大な澄んだ空気のなかで羽根を伸ばす

いつ電車は来るのだろう

無人駅には一人しか乗る人がいない

線路にはじっとでんでん虫が眠っている

ああ その幸福な自由な患いのない長い時

人には苦しみも必要だ

でも苦しみだけでは心も歪む

人には幸福な時間も必要だ

たっぷりと幸福な時間が必要だ

人生は短い、労苦ばかりが人生ではない

たちまち人は老いる

病気になったりして旅もできなくなる

自由な時間もなくなる

そしてただ思い出す、その患いのない幸福な時を・・・・

何でもないそんな時が幸福の時だった

その幸福の時間は帰ってこない

場所は変わらないかもしれない

でも時間はたちまち過ぎて元の時間にもどれない

日々の労苦が重なり自由は奪われた

稚内-遠き果て-ぶらり無人駅に一人

でんでん虫が線路に眠っている

いつ電車は来るのだろう

いつまでも待っている

やっとのこのこやってきた一両の電車

その駅はどこだった、遠い果ての駅

そこに自分の幸福の時間があった

「幸福駅」という駅も確かにあった

しかし今では幸福駅という切符が記念に残るだけ

まさに幸福駅に幸福な時間があった・・・・

でんでん虫は線路にいつまでも眠っている


宗谷本線の無人駅
http://musubu.sblo.jp/article/37318341.html

 
この記事へのコメント
北海道の雄大さを思い起こせば、日本の狭さなど感じないものなのかもしれませんね。
北海道や沖縄は、人口密度の高い狭苦しい都会から眺めると異国の地のような錯覚に陥ります。
北海道と言えば、歌好きな私は松山千晴の「大空と大地のなかで♪」を口ずさんでしまいます。
『♪ 果てしない大空と広い大地のその中で いつの日か幸せを 自分の腕で掴むまで 歩き出そう 明日の日に 振り返るにはまだ若い ふきすさぶ北風に飛ばされぬよう飛ばぬよう…生きることが辛いとか苦しいだとか言う前に 野に育つ花ならば力の限り生きてやれ〜♪』北の厳寒を思えば、こちらは恵まれています。道産子の根性も見習わないといけません。

で…、何で「でんでん虫」なのですか(^^??
以前から、思ってたのですが、小林さま作「でんでん虫の歌」が紹介されたり…。
旅をした時に、でんでん虫を見たのでしょうか?
それとも、でんでん虫のノロノロしたペースが、時間の流れも緩やかで平和を感じる無人駅とマッチしていて擬人化しているのですか?
「幸福駅」という終着駅は、皆の心の中にあるのでしょう。切符が無駄にならないようにしないといけませんね。
Posted by たまもとあゆみ at 2010年08月30日 22:16

>旅をした時に、でんでん虫を見たのでしょう
>か?

そこがどこの駅だったか覚えていない、ぶらりと下りた稚内近くの無人駅だった
なかなか電車が来ないので待っていた

その時線路を歩いたり回りを歩いた記憶がある
その線路に何匹かでんでん虫がいたのを記憶している

人家もまれなところだからそういうことが記憶していた、こんな場所が印象深く記憶されていたことが不思議である。

旅はやはり団体旅行ではだめである。気ままな自由な旅が好ましい、ぶらりと気ままに無人駅でもおりる、それが本来の旅なのだ

でんでん虫は現代の騒々しい忙しい社会の
アンチテ-ゼ的存在なのかもしれない、高齢化社会のスロ-ライフの象徴としてもいい、でんでん虫は自分の性にあっていたということです

・・・・・・・・・・・・・・・・
(アンチテーゼ)

テーゼ(命題、定立)、アンチテーゼ(反対命題、反定立)、ジンテーゼ(統合命題)である。たとえば、「地獄」は「天国」のアンチテーゼ、「無秩序」は「秩序」のアンチテーゼである。通常釣り合いの取れた、対照的概念の並列である。

Posted by プログ主(小林) at 2010年09月02日 08:16
>でんでん虫は現代の騒々しい忙しい社会の
アンチテ-ゼ的存在なのかもしれない、高齢化社会のスロ-ライフの象徴としてもいい

納得しました。私もでんでん虫の性が合うのかもしれません。団体で決まり切ったコースを旅するのは好みません。計画もせず着替えも持たないで、突然、山の奥にあるお寺に素泊まりし旅した事があります。自由で無計画な旅は束縛からも解放され、本当の意味での休養ができます。

●かたつむり四季を見通す勇姿なり
  ↓      ↓

小林さまの詩、解説(今迄のコメント含む)、でんでん虫のイメージを包括し浮かびました。四季とは落ち着いた人生の先輩が気象予報士でも予測出来ない季節(世の中の)の移り変わりも長年の勘で見抜く事があるように、人生観、経験から色々な事を見抜く力がある事も指しています。若僧は先見の明がなく衝動的ですが、人生の先輩はでんでん虫のように落ち着きをもって本当の幸福を手に入れる道順を知っています。若僧が頭を打つ日を居眠りしながら高見見物しているかのように…。
ど〜〜も、私的感情が混じるようです…(^_^;)
ちなみに、私も若いですがでんでん虫をお手本にしたいと思います。教えて頂いて有難うございました。
Posted by たまもとあゆみ at 2010年09月02日 21:56
>若僧は先見の明がなく衝動的ですが、人生の先
>輩はでんでん虫のように落ち着きをもって
>本当の幸福を手に入れる道順を知っています。

若いときはしょうがないでしょう、若いときは思考が苦手で行動に走りますから
深い考えで行動できないでしょう、ただ闇雲に行動するだけです
自分もカルトにはまったりとか行動するだけでしたから
その行動も妄想だったんです、ただ行動することが善に通じることはありません
そういうことが老人になると誰でも悟るでしょう

人生は最後は記憶になってしまうんです、60才を還暦と言いますが本当でした。
暦が還する、巡る、戻るということなのです、生まれ時からずっと生きたことをたどるようになる
人生で経験したことは記録されているんです、罪も記録されている、善行も記録されている
魂に刻印されている、それか顔に現れます、顔はだからなかなか偽れないです
顔はだまされやすいですが人間も顔も長い人生の間に作られるものであり変貌するんです
何が記憶されていたかが還暦を過ぎた辺りから目の当たりににするんです

まあ、天才は別にして平凡な人、自分でも60以上になれば何が物事の真意なのか悟るようにはなります、つまり平凡な人でも老人になると賢くなりうるというのはそのことでしょう。
結局人生の半分は無益な無駄なことに費やされていたということです

旅で記憶に残るのは大都会は記憶に残らない、いろいろなものがありすぎるところは何かに集中できない、結局何もない北の果ての無人駅が記憶に残っていたということは皮肉ですね
そういう場所が記憶に残りやすいということだった、あとは旅は忘れやすいです、そこがどういう場所だったかも思い出せない所がいくらでもありすますから・・・・
Posted by プログ主(小林) at 2010年09月03日 19:50
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