2010年08月22日

残暑(炎天下を歩む山頭火の記憶)

 
若竹に残暑の太陽眩しかな

ピアノの音日陰にもれて街の中

海の方へ烏帰るや夏の月
 

昨日は涼しいから早い秋が来たのかと書いた。今日は残暑が厳しい、今も30度くらいある。福島市が暑いときはここも暑い、福島市が盆地で35度になっていたからここも32度から33度になっていた。こうなるとク-ラ-なしではいられない、やはり今年は暑さがまだつづくのか、それとも昨日のように急速に秋が来るのか、天気予報ではまだまだ残暑がつづくとあったから昨日のような涼しさはないのだろう。夜まで暑いから月も夏の月である。なぜ烏が海の方へ群れをなして帰っていった。普通は山の方に帰るのだが暑いから海の方へ向かったのか?海の方は風が涼しいからだ。そこまで動物も感じて行動しているのかわからない、若竹は清々しい、若竹というとやはり高校野球を連想した。高校生の若々しさが若竹にふさわしい。あの暑さであれだけの運動をできるのも高校生だからである。人間の体力のピ-クは高校生から大学生から25才くらいまでだろう。その頃から老化がはじまり30才になると人間の体力は下降線をたどるだけなのである。自分の場合は老成していたから30才で老人に見えていた。今老人になったが今の姿とたいして変わらない、それからこの年まで生きたのはやはりその後は楽に生きたからである。
この体力ではとても過酷な環境では生きられなかったことはまちがいない。山頭火もあれだけ過酷な旅をして60才で死んでいる。もっと楽をしていればあれだけの旅する体力があったのだからもっと生きていたことはまちがいない、ただその頃は一般的に寿命が短いから短命だったとはいえいない。


炎天下山頭火歩む大地かな
 

旅人というときその俳句の善し悪しは別として山頭火で旅人は消えた。江戸時代までは歩いていたのだから旅人となりやすい、山頭火の時代も汽車があっても歩くということが主流だった。
山頭火の凄いのは俳句を作ったというよりあれだけ歩いて旅したということが驚異的なのである。歩く旅人の最後の人である。今ではあのように歩く旅はできない、していたとしても一部分でありどうしても車が多いから歩くことが様にならない、絵にならないのだ。それだけ歩くということが日常から消えてしまった異様さを人々は気づいていないのである。

 
炎天下山頭火歩むひたすらにその影濃くも大地に刻まる

炎天下山頭火歩む草鞋はき踏みしむ大地忘れざるかな

 
人間は歩いてこそその大地をしることができる。歩くからこそその大地にその記憶も残される。山頭火の魅力はまさに歩いて旅したことにあったのだ。彼が歩いているということをイメ-ジするだけで何か人間としての力強さを感じてしまうのだ。その旅はあまりにも過酷だった。水を求めて炎天下を彷徨っていたのである。今なら自動販売機でどこでもジュ-スを飲んでいる。彼はただ水を求めていたのである。水を得るだけでも大変だったということである。ただ今年のような炎天下だったら歩けない、死んでしまうだろう。ちょっと自転車で出かけただけでぐったり疲れた。ともかく山頭火の体力には感嘆する。今になって彼の歩く姿が鮮明にイメ-ジされる。イメ-ジのなかで山頭火とともに歩く旅をするのもいい、その俳句よりそうして延々と旅し続けたことに今になると魅力を感じるのである。そうして今の時代を考えるとき電車は車は便利でも記憶に大地に記憶されることも少ない、車はやはり大地から離脱する乗り物であり人間的なものを喪失してしまうのである。文明が発達して便利になればなるほど体験も浅薄なものとなってしまうのは皮肉である。やはり人間は大地を踏みしめ歩くとき感じるものと車で通りすぎるのでは余りにも違いすぎるのだ。車から山頭火のような大地に刻まれた記憶は残らない、一歩一歩大地を踏みしめ歩いたからこそ今になり人々の忘れられない心象として刻まれるようになったのである。
一歩一歩歩む記憶や炎天下
 
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