(現代思春期少年の危機−カルト宗教との共通性)
福島県金山町小栗山字四十苅
金山町は人口2600人の8割が栗田か栗城
古代の労働が一人一日稲一束として支払われていた。三十苅の地名についても稲束を刈りとる意味であるともいわれており・・・石高制になるのは豊臣秀吉の検地以降でありそれまでは稲一束とか三十苅とか四〇苅とかで数えられて税金として納められていた。こんな由来の地名でありこんな素朴な奥深い田舎からこんな事件が発生した衝撃が大きいのだ。会津が都会というけど回りは田んぼだし大きな川もあるし大都会とは違う。神戸のサカキバラ事件は新興住宅地で家族は地方からの出身者だったとか大都会の事件としてその原因を探っていたのだ。それと障害者の子供を犠牲にしたのも何かさらなる異常性を追加した。今回の事件はこんな田舎からもこんな事件が起きるのかという衝撃だった。一応福島県内だからこんなところにもこんな事件が起きるのかとショックだった。
会津の白虎隊のことを言うけどこれとは全然共通性がない、白虎隊は武士道の筋を通した藩校の教育、武士の共同体の結果として必然的に起こったのだ。だから筋が通っている。会津の城を守るため家族を守るために死んだのだから母親をこんなに残酷に殺すのとはなんの共通性もないし関係もないのである。つまり筋が通れば異常ではないのだ。なんかは家族に認知症をかかえてから正常と異常の問題を追求するようになった。異常は筋が通らないことを言う、テロをなくすために母親を殺したというのは全く筋が通らない、辻褄があわないことを精神の疾患をもった人は言う。妄想化するのもそうである。
オウムでもカルトは妄想化して信じ込みサリンをまいた。これも外から見ると筋が通らないのだが内部ではカルトだから筋が通っている正しいとなる。カルト団体は辻褄が合わない筋が通らない異常になりやすいのだ。これはカルトに関係ないにしろ何か精神の異常をきたしてこんな残酷なことをした。この少年のなかで何かが妄想化してそれが実行に映されたのかもしれない、現代は田舎とか都会の環境が関係していない、サカキバラは神戸とかで都会の異常性を原因にしようとすることがあった。今度のは全くそれができない、田舎でもこんなことが起きるという衝撃である。
魔術、妖術、心霊術、降神術、交霊術、神秘学、超能力、透視能力など、最近、これらのオカルトに手を染めることによって、悪魔から憑依されるケースが増えている。特にそれが顕著に現れているのがアメリカである。今やオカルト殺人事件は、アメリカにおいて頻繁に発生し、社会問題化している。 凶悪なる悪魔にとりつかれた場合は、悪魔が人間を残忍な殺人に導くからだ。自分の子供を電子レンジで焼き殺したり、虐殺した人間の血を吸ったり、その内臓を食べたり、以前には考えられなかったような猟奇殺人事件がするようになっている。
聖書で悪魔(サタン)と言っているときこれとは別である。明確に罪に誘惑するものである。これはむしろ精神異常の精神病理学の世界なのだ。この少年の事件が何を意味しているのか原因もわかりにくいが何か現代の社会の疾患として現れたものなのか?カルトの場合は確実にそうである。現代はカルトにはまりやすいのである。というのは自己のなかでアイデンティティが作れないからである。白虎隊などは明確に武士としてのアイディンティティをもっていてその筋を通したのであり何ら異常性はない、むしろ天皇制による天皇神格化もカルト的な側面があったのかもしれない、日本国民としての一種の共同性、アイディンティティを作るために天皇が必要だったからである。それが全部悪いというのではなくやはり現代の社会では無理なものとしてカルト的側面があったかもしれないのだ。
中学校までは田舎の大家族で暮らし文武両道に優れていたのに会津にきて自らのアイディンティティを失ってしまったのか?それともイラクの首切りのシ−ンなどをインタ−ネットで見たことが影響したのか?現代社会が自己のアイディティが得られずカルトに陥りやすい社会だということは確かなのである。白虎隊は自己のアイディティ確立に悩むことなど全くない武士の共同体に生きていたのだ。現代はアイディンティティを地域でも結局田舎でも確立することがむずかしい社会だから思春期に問題を起こしやすいのである。
特に自分もそうだったように学校でうまくいかなくなるとその危険性は高まる。社会が学校だけになってしまっているし他に居場所がなくなってしまったからである。
【時事問題の深層の最新記事】