2007年05月16日
老鶯の季節
老鶯や手助けありて介護かな
白藤の下に菖蒲や墓所の前幾人か行き夕べ静けし
認知症の介護で半分は時間をとられた。前は全時間を費やして書いていた。それでもまだ余裕があるから書けている。介護には手助けが必要である。一人だけでも助けがあると楽である。女性には女性がいいから介護にはつくづく女性に向いているし女性の手助けが必要なのである。
毎日通る墓所の前の道は静かでいい、墓所が気に入っているのはなぜか?死人は何も言わない、文句を言わない、不満を言わない、愚痴も言わないことではないか?お供え物をあげないからと不満を言わないだろう。呪うとか祟るとかも実際死ぬとないのだ。死者の不思議はただ謹厳な沈黙者になってしまう。墓所は静粛な場であるべきなのだ。都会では喧騒な場所にあるからよくないしまた村ではあまり人が通わない場所にあるから余計淋しいということもある。理想的なのは街の中の裏通りにあり人が多少は行き来する場所、生活が活きている場所なのである。死者はここを何人か通る足音を聞いている。墓所も今の暮らしと結びつき街のなかで生きている必要があるのだ。そして今生きている人もここで死んだ人を墓参りしたり時々思い出すのである。ただ死者でも思い出したくない人もかなりいるから死者も美化して理想化はできないのである。
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