
イワキの海竜
大海の潮を切って進む海竜はまことか
イワキの夏の海は岩礁に飛沫をあげる
千変万化の神の姿を見よ
黒潮にのり鮮やかな熱帯魚も泳ぎ来る
珊瑚礁もここに根づきてイワキの海
照葉樹林の葉がつややかに夏の日に映える
車輪梅はさらに北上して相馬へと根づく
海竜は大海から飛沫をあげて顔を出す
泳ぐスピ-ドは驚異的にして我が物顔の海の王者
大海ありてこそ生まれしものよ
雄大なる日よ、地球創生の時の大景観
その大いなる命よ、我等は今知らじ
大海と大空の中に長い海竜の首が伸びる
その回りにイルカがカツオが飛び魚が泳ぎ飛びはねる
その巨体は大海にマッチして神の業を示す
夏の日、大海に生きるものよ、風ははるか沖から吹く
自然は一つの大いなる詩、尽きざる詩なり
海と大地と森と川と織りなす詩なり
山深く堆積したアンモナイトが太古の夢を見て眠っている
深い海底の静寂がそこにある
文明は誇れるものや神の驚異の業を見よ
なお未知の大海ははるかに知れず広がっている
汝はさらに遠くへ天来の翼もて天翔るべし
この世を生きるはただ夢にしすぎじ
ならば大いなる夢を神の夢を見つつ死ぬべし
神の広大な領域を飛び駆け抜けるべし
大海の潮を切って進む海竜はまことか
【福島県(旅の思い出−俳句、短歌、詩)の最新記事】
この作品は我ながらの快挙の作品だった。病気で苦しいなかでも書けた。
病人になったりするとみんな弱々しい厭世的な作品になりやすい、生命に満ちた力強い詩は書けないのが普通である。でも実際にそうでもない、病気でも力強い詩も書けるのかもしれない、人を励ますような詩を書けるかもしれない、逆に人間は死に直面したらいいものが書ける
最期の力をふりしぼって書くということがありますから・・・・・
まあ、人間誰しもあらゆる束縛から解放されたいという願望をもっています
玉本様もストカ-やら何やらそういうしがらみから解放される時が必要でしょう
そんなものは実際つまらない小さなものだった悟る必要があるでしょう
死を前にしたとき人間はやはり本気になります
60過ぎるとやはり死を意識する度合いが強くなる、人間は最期まで神の御旨にかない
力強く生きることを模索するべきです
人生はいづれ終わります、そこで悔い残ることはしたくない
大きな力強い詩を、神の世界を賛歌する詩を書いて去ってゆきたいです
イワキの海竜とはフタバスズキリュウのことです。双葉は地域名でありスズキは化石を発見した人の名前です。太古は暑い地域だったから住めた。今は寒々とした感じがしますが暑いときは南国の海だったから住めた。
人間は小さいものだという事ですね。
>人間は最期まで神の御旨にかない
力強く生きることを模索するべきです
人生はいづれ終わります、そこで悔い残ることはしたくない
人はいつ命を神様にお返ししなくてはならないか、お返しする日など予測も出来ません。神の御皆にかないながら悔いの残らない生き方をしたいです。御皆とは…?小林様は「神の御皆」とは、どのようにお考えでしょうか?