蝋梅やボケにならざる長寿なれ
春鳥のたずねて鳴くや事もなく
忘れらる古き碑並び春日さす
春の日に桃色のマ-ガレット我が買いぬ
春日さす通りに新しレストラン内装良しやランチ食しぬ
白鳥のもはや去りなむ残飯をやると散歩にボケの直るや
蝋梅が農家に咲いていたので一枝折って盗んで部屋にさした。この緑の石と蝋梅があっている。ここのところ認知症を家族でかかえて全く家族は分裂し異常事態だった。精神的にもへとへとになった。考えることは認知症しかなかった。あとは精神異常の世界のことしかなかった。認知症と鬱病と統合失調症の恐怖の世界を体験した。こうした精神病を家族でかかえると家庭が崩壊する危機に直面する。家族の精神状態もおかしくなってくる。自分自身もそうだった。鬱病の人を家族でかかえると介護する人も鬱病的になってしまうのである。ともかく一時の錯乱混乱状態はぬけだして症状は正常に近い程落ち着いた。認知症は記憶が破壊するから忘れるということは直らない、でも相手を思いやる人間的感情もとりもどしたし認知症は精神病とは違うような気がする。正常な部分がかなり残るし正常に戻ることがある。完全に直らないにしても今の状態をみるとかなり正常に戻っているのだ。
一時は本当に妄想がひどく激しい暴力ふるったから精神病院に収容するほかなくなっていたのだ。それが今は正常に近い状態になっている。認知症は記憶する能力が破壊されるからこの部分は直らないにしても盗ったとかも言わないし探し物をあまりしていないし日常的なこと掃除とか料理も手伝うし買い物もしているなど日常的な仕事ができることは回復しているのだ。一時は混乱状態で旧知の人との付き合いが断られたりしたが今は家に呼んだりして話しているからこれも精神的に落ち着くいい方向に向かっているのだ。認知症とは果たして直るのかどうかわからないが回復することがありうるし社会のなかでちょっと不適合な面がでてもそれなりに回りのサポ−トがあれば普通に生活しえるようになるのかしれない、今の状態はそこまで回復したのである。あの錯乱混乱状態からすると考えられない程回復しているから不思議である。
ボケとか認知症とは何なのか?これはいかなる病気なのかまだよくわからないものなのだろう。悪くなる一方で直らないとか言う人もいるが地域の社会の家族の親身なサポ−トがあるとぎこちなくてもそれなりに社会の中で日常生活が営むことができるしそれがその人にとっては一番いいのである。これからどうなるかわからないが家族とか地域とか社会から切り離されることは隔離されることはかえってボケを進ませることになるのが一般的であることは確かである。
まあ、なんとか多少正常な世界にもどって創作活動ができるかもしれん、ただ今後のことはまだわからないがいい方向には向かっている。