2010年06月01日

死を否定して生を失う時代(出征兵士-英霊の歌から)

 
死を否定して生を失う時代(出征兵士-英霊の歌から)
 

『和歌に遺す』
       海軍大尉 石川延雄命
       昭和20年5月14日
       滋賀県上空にて戦死
       岡山県勝田郡国村出身 23歳

 
身にあびる 歓呼の声の中に 母一人

             旗を振らずに 涙ぬぐひ居り
 
人前に わが見せざりし 涙なれば
    夜は思ふまま 泣きて明かしぬ


http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/d/20100528


「心に青雲」で他にもこの人の歌を紹介している。23才でこれだけの歌を作れることに感心する。戦争の是非はともかくこの若さで非常に大人びている。23才なら自分は大学出たばかりでありこんな歌を作れない、今の若者も全く違っている。俳句とか短歌も人格から生まれてくる。20代では人格など作られていないから天才をのぞいてはいいものはできない。人間は戦争の是非はぬきにして死に直面すると違ってくるのだ。それは明治維新を成し遂げた志士にもいえる。みんな20代、30代であり死んでいった。ともかく命懸けであったということが根本的に違っていた。石川啄木でも最後に結核で死ぬというときいい短歌を残した。正岡子規もあの若さであれだけのことができたのは常に死に直面していたからである。毎日いつ死ぬからわからない状態であり苦悶していた。だからあの若さであれだけの業績をのこしえたのである。人間はやはり死ぬとなると違ってくる。特にこんなに若かったからどうしても死に対して割り切れない、いくら悟りきろうとしてもできない、啄木を見ればわかる、生の執着を連綿として書いている。それが人間として普通である。潔く戦地に赴き死んで悔いないとなるだろうか?
 
なぜこの歌をとりあげたかというと姉はシンガポ-ルに4年間従軍看護婦していたのでそのことを意識不明になる死ぬ間際まで語っていた。姉はこの歌のように母と別れたのだが帰ってきたときは母は死んでいたのである。日本に帰り母と会えると思ったが会えなかった。それで墓に埋められていたが母の顔を見たいと墓をのぞいたら母の顔は生前のようだったというのも不思議であった。死んでまだ日にちが立っていなかったからなのか、墓の中で母と再会したことになる。これは姉が特別経験したことかと思っていたがそうでもない、戦争は永遠の別れが無数に作ったのである。出征して死ねば永遠に会えない人となっていたからである。戦争から帰ってきて肉親が死んでいたというのはあまりないにしろ永遠に肉親が別れることが無数にあったのであり岸壁の母とか帰らぬ子供を永遠に待つというのもそのためだった。いづれにしろ姉は死に母と同じ墓に埋まって帰らぬ人となった。戦争の悲劇はだんだん忘れられつある。でも祖父母やら親から戦争の話を直接聞いている人はまだ戦争を身近なものとして考える。
 
この歌の解釈はみんなが歓呼して送り出すが母にすればその歓呼の声に同調できないともとれるのだ。他人だったら国の名誉だとなり送り出せばいいが母であればそうはならない、死ぬかもしれないからだ。永遠の別れとなるかもしれないからだ。その可能性は大きく現実にそうなった。その時が最後の別れだったのだ。全体にしてみれば戦争への奨励が普通だが母にしてみればその時旗をふれなかった。ここに深い意味があったのである。23才で簡単に死を割り切れるだろうか?そこが疑問なのである。妻もあり妻も愛しいし国のためなら死んでもかまわないと犠牲になってもかまわないと割り切れるだろうか?そこが全面的に肯定できないのである。「人前に わが見せざりし 涙なれば    夜は思ふまま 泣きて明かしぬ」人前ではみんなが戦争肯定でありそれに応じねばならないから戦争に行って死にたくない、母きも別れたくない妻とも別れたくないというのが本音でありこの歌は本音を示しているからいい歌なのである。単に天皇の命のままに死地に赴くというのではないそこに人間の本音が出ているからいい歌なのである。だから解釈が違っているように思える。別な面から見ればこの歌は女々しいともなるからだ。


ただ人間は死に直面したとき、この若さでもこれだけの歌を残せるということである。20代でいい歌を残したのはやはり死に直面したからである。芸術でも末期の眼で見るとき同じ風景でも別なものとなってくる。正岡子規はいつも末期の眼で見ていたからあれだけの業績を残すことができた。現代はどうか死に直面することがないからだらだら緩慢な無惨な死となっている。長寿はいい面と悪い面がある。延命治療でさらに人間は死と直面するというより死を否定してただ肉体だけを長らえさせる。そこではすでに死はない、死を否定しているのだ。戦争のときは死を否定できない、死を肯定するほかない、死を覚悟して出征する。その違いが若くてもいい歌を残したのである。結果的に高齢化社会は最後は認知症になったり延命治療でただ肉体だけを延命させるだらだらと緩慢な死になる。そして社会自体緩慢な死になっているようにさえ見えるのだ。死を否定するからそうなる。戦国時代や明治維新や戦争中は常に社会が死と直面していたから違っていた。そこに逆に優れた人が生まれたという皮肉があるのだ。緩慢な死は人間を堕落させたともなる。
 
それから人間は死ぬときは大事だとふりかえってわかった。親の最後を看取ることは大事なことである。だから介護も緩慢な死であっても簡単にないがしろにできない面がある。人が死ぬということ永遠に会えなくなることなのだ。最後姉は病院で自分の名を呼んでいたという、でもそんなに病院に行かなかったのが失敗だった。でも地元の病院に移ってからは近いから毎日行っていた。そして意識不明になったときも二カ月間姉の手を握りつづけていた。それが今思い出となっている。意識はなくても最後の二カ月間手をにぎりつづけただけでも生きて通じているということを感じた。死んだらもう手を握ることもできない、全く消えてしまったからである。だから最期の時は永遠に会えなくなるから一刻一刻が大事だともなる。ただこれもあまりに長引くとそうはならないが人間が死に向かうということはそれだけ厳粛なのことなのである。現代の問題は延命治療などで高齢化で緩慢な死が多くなった。死を否定しすぎるからかえって生がなくなったという皮肉がある。認知症などがふえるのも緩慢な死が増えてきたからである。23才で死ぬのと90才で死ぬのはあまりにも違いすぎるからだ。23才でも死を覚悟したらやはり人間というのは違っている。現代は死を否定する余り生そのものを失っている面が多すぎるからかえって人間が死に直面したときのことを時代的に省みる必要が出てきているのだ。
 



 

心に青雲」というプログは武道家であり俳句とか短歌を時々例に出している。武道家でそういう人は今あまりいない、でも昔の武士は短歌を作っていたからそういう人が武士だった。
今の時代に一本筋が通っている古武士みたいな人がいることが不思議だった。あれだけのものを書けることに感心する。日本はアメリカの従属国であり独立国でなくなった。だからアメリカにいいようにされる。官僚もアメリカに操られるとかそういうことなのだろう。民主党とか鳩山が多少アメリカに逆らったからそのことが大問題となったというのもそうなのだろう。日本はアメリカに敗北してからアメリカの軛から逃れられない、でもアメリカから離れたら今度は中国が大国化して中国の軛から逃れられなくなる運命にあるのだ。その大国の狭間で自主独立路線をとることは至難になる。でも国の独立がなければ精神の独立もない、日本は国の独立がなくアメリカの従属国になったから日本の精神の独立もなくなったのである。

posted by 老鶯 at 10:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
私達の世代は、とても恵まれて過ぎていますね。自ら命を粗末にするような人もいるのですから。そして、戦争のない恵まれた世の中で生きている時間さえ無駄にしている人もいるのです。兄の事や私にとって重荷になっている問題を起こした最低な集団の為に、その時間さえ止めてしまいましたが。生きている時間や命の大事さを改めて認識できました。
都会は騒音が多く、自然の美も生えませんが、それでも戦もなく爆弾に怯えて暮らさなくて良い平和な日々を過ごさせて頂いているのです。
それだけでも、有り難いことですもの。命や時間は大事にしなくてはいけませんね。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年06月01日 19:26
人間はどんなに無駄なく生きようとしたって
無駄が多いのが人間です
石のように無駄をしない人はいないです

カルト宗教団体などで運動することなど
馬鹿げた無駄なことでも時間を浪費してしまのうが人間です
そしてたちまち時間がすぎてしまうのです

あとでふりかえってみて後悔しても遅くなってしまう
青春時代を浪費してしまうことは大きな痛手です、早くやめればいいんですが一旦カルトにはるとそこから脱するのが容易でないですから
やっかいです
Posted by プログ主(小林) at 2010年06月01日 22:12
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