2010年05月18日

郭公(岩沼のこと)


 

我が庭の残る牡丹の一輪もはや散りなむ時は過ぎゆく

郭公の相馬に鳴かず岩沼の阿武隈川の河畔に鳴きぬ
 
遂に四輪咲いていた牡丹も一輪だけになった。花にも盛衰がある。花も造花だったら散ることはない、いつでも咲いている、生あるものはいつしか終わりがある。どんなに華やかでも遂には散り消えてゆく・・人間も同じだった。時は無常である。
 
郭公は前はここからでも聞こえた。最近聞こえない、この辺をさけているのか、やはり自然がなくなると郭公も来なくなるのか、山の方では郭公の声を聞く、だから相馬をさけて阿武隈河畔の広々とした所で鳴いたの?郭公の声を聞けないと季節感がなく淋しい、亘理、岩沼は仙台に近い、だからかなりの人が仙台に通うし、仙台と一体となっている。それでも自然はまだ豊である。鳥ノ海の花火は素晴らしいというとき仙台に近いから仙台から来る人が多いからにぎわう。相馬の松川浦だと遠いのである。一方で亘理の駅前通りは閑散としていた。買い物でも仙台に行く人が多いだろう。亘理や岩沼は仙台の影響をもろに受ける。ただ仙台という大きな消費地や生産地があれば経済効果は相馬とは格段に違ってくる。何かもうける商売になるものが出てくるだろう。魚でも仙台に出せば高く売れるだろう。
 

郷土史研究も最近書いていない、書くネタがなくなったのか?郷土史研究も相馬藩だけではない、伊達藩まで広げれば書くことがふえてくる。相馬藩は小さいから書くことが少なくなる。
伊達藩だったら伊達政宗がいてそれぞれの興味で研究することが増えてくるのだ。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/38255317
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック