2010年04月22日

宗谷本線の無人駅(北海道夏の短歌十首)

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宗谷本線の無人駅(夏の短歌十首)



でで虫の線路に眠りなかなかに来ぬ車両を夏の日に待ちぬ

ようやくに一両の車両来るかも菖蒲の咲きぬ湿地帯行く

一時を無人駅に下りある家の花に囲まる夏の日の午後

その駅に一時のみや我が下りて夏の花咲く村を去るかな


立葵の花の明るくその通り家十数軒の無人駅かな



湿地帯の奥に牛飼う家ありぬ菖蒲の咲きて駅舎淋しき

はるかなる旅の駅かも一両の電車を待ちぬ夏の日の午後

北海道いづこの駅や我がおりて木陰に眠り電車待つかな

その駅に乗るは一人も一両の車両に去りぬ夏の一時

我が老いてまた行くことあれや無人駅北の果てなれ花美しき

その駅に一時遊びぬ夏の日や恵まれし我遠き思い出


  前に書いたけど人間の不思議は記憶なのである。この駅はどこにあったのか?何十年前にもなると思い出せない、宗谷本線で稚内近くの天塩辺りなことは記憶している。そこの駅は無人駅であり駅の前には家がわずかにあるが本当にやっと家があったというくらいの所である。十軒もないのである。そんなところに気まぐれに下りてぶらぶらしていたのが自分だった。そこは何の特徴もない駅である。そこに咲いていたのは立葵だった。ただもう一回ここではないにしろ自転車で北海道を何回か行った。その時の記憶が湿地帯に菖蒲が咲いてそこに一両の電車が走るのを見たのである。その記憶がまじりあっているが北海道は十回くらい行ったからそれなりに記憶が残っている。どういうところが記憶に残るか?それは名所とは限らない、旅ではこうした何気ないありふれた時間が貴重なのである。追われる旅は記憶に残らない、旅はそもそも今では贅沢なものになった。こんなに忙しい時代は自分のようにゆっくり旅することはできない、旅で大事なのはそこで余裕をもって見ることである。そうでないと記憶に残らないのだ。旅で記憶に残らないことが多いのはそのためである。一体どこにいたのかあやふやとなってしまう。旅は記憶に残すことがむずかしいのだ。スケジュ-ル通りに行くのが旅ではない、道が二つに別れている、その別れ道をどっちに行こうか、こっちにするかとか自由に選べるのが旅なのである。決められた通りに行ったら旅ではない、旅にはそれだけ時間が必要なのである。その時間が与えられたのが自分だったのである。

その頃ニ-ト、フリ-タ-などいない、みんな正社員で企業戦士として働いていた。だんだん経済も下り坂になったがまだまだ上りの経済だった。そんなときみんな働いているときこうした時間をかけた旅をしていたのである。それが今になると記憶に残っていたのである。老人になると何が仕事かというと記憶をたどることなのである。線路はまるで記憶をたどるようにつづいている感覚になるのだ。それもあやふやであり駅名などを覚えていてかすかに浮かぶとかなる。老人になると時間が逆戻りしている、昔のフィルムの映写機を元に戻して回すように記憶をたどる旅になる。さらに70とか80なると全く記憶だけが人生になってしまうのである。自分が経験したことを語りつづけるのが老人なのである。認知症になると遂に千回も同じことをしゃべりつづけるようになる。それでもその人にとっては記憶していることが人生そのものになってしまっているのだそして記憶に残っていることが人生だとすると鮮明に記憶が蘇るとしたらそこが大事な場所だったことがわかる。たまたま何気なく下りた駅、夏の明るい日、そこは夢のような所であり貴重な場所だった。なぜならそこにもう二度と行けない、というより死ねばもうそこに誰も二度と行けないのだ。その地を踏むことができないのだ。とすればこの世で記憶した事は夢の世界だった。
特に一時下りただけの無人駅などはありふれていたとししてもそこで人に悩まされることもなく
自由の一時がありただ夏の花だけが映えていた夢の国にあったのと同じだった。大きな駅や都市は忘れやすいがこうした小さな駅を覚えていたというのもそこが小さいからこそ記憶しやすいということで覚えていたのである。

日永きやどっちに行こうか別れ道

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