2010年04月13日

落椿の墓所橲原-詩)

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  落椿の墓所

今年も椿がひっそりと散った

その杉木立に隠れるように

粗末な石くれの墓群れがある

名前も定かではない

ここで暮らしてこの村で死んだ

いろいろなことがあったろう

今は静かに眠っている

今年も椿がひっそりと散った

清らかな流れがひびき

蝶が一羽は流れにそって舞い

細い樹々の影が枝をさしかわす

この道を通る人はまれなるがよし

死者の眠りを乱してはいけない

安らかに眠らすがよし

遂には人はみな永久の眠りにつく

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posted by 天華 at 18:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩全般
この記事へのコメント
私の父も兄も奈良県の田舎で生まれました。
父の父(祖父)は、その田舎で木を伐採して材木屋に売る仕事をしておりました。その田舎で永遠の眠りについた訳ですが、今こそ舗装されて綺麗になった脇道は、私が訪れた幼い頃は砂利道で、山の斜面に教えてもらえなければ見過ごしてしまうような石を積んだだけの小さな、父方のご先祖様のお墓がありました。当時は土葬だったと聞いております。墓守をしていた祖父の死後、大阪の今ある墓地を購入して御先祖様の遺骨を引き上げてきたのですが、可哀想に遺骨と呼べるような状態ではなかったようです。今でも覚えている吉野の山の空気を思い出すと、死者が眠っているからでしょうか澄んだ空気は霊魂が守り神として澄んでいるような神聖させ感じます。夏休みだけ田舎に行って川遊びをしていた何も考えなかった子供の頃とは違って、大人になってからは遊びに行くといってもその地にちなんだ歴史や病人が出たらどうしていたのか、呆けた人に対してどのような対処をしていたのか、死者の葬り方はどうしていたのかなど考えてしまいますね。
来月、奈良へキャンプに行くのでそんな事を考えさせられました。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年04月13日 23:42

日本では古来から村で死んだ人は先祖となり山の神となるという信仰があった。これは柳田国男が言ったことで有名である。

要するに山の神ということは死者も密接に自然に結びついて存在しつづけたということです。

都会などで人間が死んだらどこに行ってしまうのか?
回りに自然がないし淋しいです

ビルばかりながめているだけですから・・・・
Posted by プログ主(小林) at 2010年04月15日 20:17
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