2010年04月12日

日永のこと(つづき)


家までの山路の遠し日永かな

 

昨日のつづきだけどマヤ文明が極端に太陽が衰退することを恐れたのは科学が発達していなかったからと今では言うがその当時からすると本気だった。太陽がすべての命の源だと認識していたからそうなった。実際に太陽がなくなればこの世が暗黒となり生命は死滅してしまう。
そしたら太陽の光が衰退することを最も恐れることがわかる。日の長くなる春はだから特別な
季節になるのだ。太陽が復活したような気分になるのだ。一方で日が短くなることは太陽が衰退してゆくという恐怖を感じていたのである。

 
文明はそうした自然への恐れを科学で克服したとように見えたが克服されていない、高度に発達した文明でも太陽が衰退してゆくように危機感を覚えることがある。石油がなくなったらどうするのだろう、石油がなくなったら生きていけないとかまでなっている。実際は太陽が衰退するよりはまだ人間は生きていける。そうして人類は生きてきたし最近石油が欠かせないものとなったのであり石油がなくても生きていける。だから石油がなくなったらもう生きていけない、石油を確保するために戦争も辞さないとなる感覚はマヤ文明などの恐怖感より馬鹿げたことだとなる。

確かに太陽が衰退するから人間を犠牲にしたことは今からすると野蛮だとなるがでは石油がなくなるからと石油のために戦争する現代人が野蛮ではないのか?こうして歴史的に人類の行動を考えると文明人はさも賢くなったように見えるが人間の愚かさは変わらないのかと思う。
太陽がある限り人間は石油なくても生きていける、だから石油のために戦争することは愚かだとなる。

 
飯館から南相馬市の今まで帰るのは相当に遠い、でもいつまでも明るかった。だからゆっくりと帰れたしあれまだ明るいなと何回も感じた。今日は雨で寒いし外に出れない、一日一回人間は運動しないと体も頭も快活になれない、最近毎日のように動いていたから余計にそうである。
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