2010年03月29日

宗教団体が病院を支配する恐怖


宗教団体が病院を支配する恐怖

 
●人の弱みにつけいり権力を拡大化する宗教団体

某新興宗教団体が宮崎市の郡司分(南消防署の近く)に集会場(延べ床面積990m2)の建設を計画しております ネットで調べると被害者連絡協議会が出来るような団体のようです 地元では建設反対の署名を行っています 皆様ご協力ください

神慈秀明会か
既に怪しげな新興宗教の私設はごまんと立ってると思うが、神慈秀明会だけを特別視する理由は何?


妹は重度の障害者です。
幼少時から、あちこちの宗教団体が
「先祖の供養が」「前世が」「古井戸が」「家相が」と、
入れ替わり立ち替わり訪れました。
勝手にお札を貼られ、庭で知らない人が念珠を持って祈り、
頼みもしない会報が届き、
本や水、カレンダーなどを売りつけられました。
近所付き合いの範囲だけは、仕方なく買っていました。

宗教とは、人の弱みに付け込むものだ、押付けがましいものだと悟り、
あらゆる宗教を信じないと心に決めました。


 
自分の家族が認知症になりつくづくこういうことが実感として理解した。不治の病とか知的障害とかどうにもならないものをかかえこむと人間は弱いから藁をすがる思いで頼るのである。そういう弱みにつけこむことが人間にはある。隣近所でもそういうことがあったし一方でかわいそうだと本当に同情して助けてくれた人もいた。正直認知症のために家はガタガタになってしまった。その後遺症は大きい、人間は弱みをもつとその弱みにつけいられる、同情して助けるという人はまれである。それが人間の真実だった。そもそも認知症になった姉自体全くそうした人に弱みをもたれるような人ではない、認知症になるまで一切そういうことがない強い人だったのである。それが一転して信じられない弱い人になったのだ。人間がこんなふうに強者から弱者になるもんだと驚愕したのである。人間は誰でも弱者になるリスクをかかえていることに恐怖した。一旦こうした弱者になると家がもうガタガタになる。それはどうにもならない、宗教団体のものなどがおしかけてくるというのもその一つであり他にもいろいろとあり弱い立場になるからそうなる。本当に親戚にも医者や看護婦さんにもその他なにかしてもらった人にも頭を下げて礼を言わねばならない、こんなに低姿勢になり頼まねばならないのかとつくづく思った。弱い立場になることはこういうことなのかと実感した。どんな強い人間も弱くなる。これが認知症でわかった人間の現実だった。
 
●宗教がもっとも人間を非情にした皮肉
 

そして宗教とは本当はこうした弱い人の立場にたって慈悲や愛を実践するものなのだが今の宗教団体は自分たちの勢力の拡大化であり権力掌握である。そして一番無慈悲で非情だったのが宗教者であった。キリスト教でもカトリックとかプロテスタンの殺し合いは余りにも凄惨だった。これほど人間は非情になれるものかというのが宗教の暗黒の歴史だったのである。それは団体化した派閥化したときそうなる。か宗教の場合はそれが余りにも極端になった。今でも宗教団体内では分裂騒動があると地獄に落ちるとかののしりあいを平気でしている。それがエスカレ-トすれば殺し合いになる。宗教戦争の恐ろしさがここにある。だから宗教にアレルギ-になっている人が増えている。宗教自体がすでに社会の最大の害悪となっている。そんな団体に無税の特権を与えたりしているのも宗教が商売になりまた権力側に票をうりこみ圧力をかけることができるからだ。そもそも宗教団体に入っているもの自体があの世では裁かれる。その罪を知らないにしても裁かれる。その罪は相当に大きい。無知ではすまされない、宗教の根本になる慈悲であれ愛であれ徳など皆無の世界である。ヤクザまがいの恫喝宗教である。
「オマエが不幸なのは・・・団体に入らないからだよ、地獄に落ちるぜ・・・」人の不幸、弱みにつけこみ恐喝して団体に引き入れ権力を拡大して遂には日本まで支配しようとする。この世の最大の暗黒が宗教にあること時代この世がいかなる場所かわかる。サタンの支配下にある。
容易にサタンは宗教でも利用する。一番尊敬され崇拝されるのはサタンなのである。カルト宗教団体の長が今も君臨して誰も文句も言えない、マスコミ新聞も科学者も称賛している。それはその人を称賛するというよりは権力に従うということである。強大な権力をもっているから政治でも動かせるからそうなる。

 
●医者には逆らえない
 
そして掲示板で書かれていた病院が大きな権力の場所であることが自分の経験からもわかった。医者とかに何一つ文句も言えない、何にも言うな、じゃ手術をしないというまで言える権力に驚いたのである。病院では良くしてもらいたいからもはや患者は何も言えない、ただ従うだけである。それが宗教団体と結びついていたら最悪である。院長がそうだとしたらこれは怖いことである。その宗教団体の言うなりに患者はなってしまう。もう逆らうことができない、医者はそれだけ権力をもっているのだ。田舎では医者は少ない、小さな町だと二軒くらいしか開業医はいない、だからそうした医者にかかるとしたら何も文句など言えない、医者はいるだけでいいとなる。医者など選べないのである。都会だったらこの病院は嫌だからと選べるけど田舎では選べないのである。 医者がなぜ傲慢になりやすいのか?それは実質的な権力をもっているからなのだ。医者や看護師を病気になれば頼ることはしょうがない、だから医者を神様のようにまで崇めている。そうされれば当然医者も傲慢になってしまうのだ。だから謙虚な医者はまれだとなる。


例えは死ぬにしても死亡診断書が必要でありこれも大きな医者の権限なのである。医者に頼まないと死んだということも認定されないのだ。だから医者が実質的な権力をもっているから医者をあがめるし人間は権力をもっているものを崇める、医者は仁術などという江戸時代とはまるで違う、医者は権力者なのである。病院も大きな権力を持っている。だから宗教団体が病院を支配しようとする。そうすると宗教団体に従わざるをえなくなる、これは最大の恐怖である。病院は命をあずけるところだとするとその命も宗教団体に操られる。あいつは俺たちの団体に逆らうから薬のませてうまく殺してやれとかまでなる。そうなるとおちおち病院にも医者にもかかれないとなる。司法関係にも創価が多数いるとか病院に宗教団体の医者や看護師が入り込みそうしたことで患者を支配することは大きな問題である。

 
posted by 老鶯 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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