2010年03月10日

寒戻る


抹茶飲むあとの余韻や残る雪


五輪塔名もなく大きく寒戻る

手伝いの女の通うや寒戻る

石の鉢幾度も凍る記憶かな
 
一人で簡単に飲める抹茶を茶の湯用の茶碗で一人飲んだ。やはりそれだけでも心落ち着く、今日は本当に寒い、春寒しではない、寒戻るである。今年のような寒い時はあまりこの頃経験していない、手水鉢というか単なる石の鉢が今日も凍っていた。これだけ凍るのはめずらしい。これだと凍るのがこの石の鉢に記憶された。ちょうど凍土のように地面の下に氷河期が記憶されているとにている。そこにマンモスが氷漬けになっていた。
 
原町駅の近くの五輪塔は大きなものである。ただ名前がない、故にこれの由来を探るのはむずかしい。鹿島区の五輪塔の岩松氏のも大きいがこれは由来がはっきりしている。墓は家がなくなっても長く残る。実家の墓も実家そのものはないが墓だけが残っている不思議がある。墓だけといっても墓があるからまだ実家として墓で意識している。もし墓もなくなったら何か実家があったということをそこに埋まっている人も意識できないのである。謂われもわからない墓だけ残されているのも相当ある。でもなぜか実家の話を30年前に死んだ人の話を何回も今頃聞いてそういうことがあったのかと納得するのも不思議である。話は聞いていたが詳しく何度も聞いていると過去の実体が浮かんでくる。そうした過去は生きている人から何度も聞かないと理解できない、歴史を知るにも相当何度も訪ねて調べない限りわからない、それだけの情熱をもって調べられるかとなる、たまたま自分と関係した実家だったからしつこく聞いて理解したのである。
他の歴史的なことを知るのはやはりそれだけ関心がないとできない、でも何回も行く所はやはり謂われを必ず知りたくなる。近くの田中城跡は最近はじめて行って土塁が残っている所にたった。ここはずいぶん近くだったけど今頃はじめてそこに行った。あんなに近くにありあそこが湿地帯だったことはいかに湿地帯が広がっていたかわかる。鹿島駅からそんなに遠くないからである。
 
まあ、一人でも毎日家に来てくれる人がいると心強い、一人欠けてしまいまた一人欠けてしまいそうになっているのが我が家なのである。ともかく老人の病気は直らない、死ぬほかないのだ。直りようがないから生きていてもただ苦しむだけだとなる。死んでやっと安らかになるというのが現実である。死はさけられない、どうにもならない、死んでしか老人は楽にならない、認知症なんかもやはり死んで安らかになる。長く生きても苦しむだけだとなる。


 

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