玉本様の発言
相馬のお掘りの菖蒲
http://musubu.sblo.jp/article/29286725.html#comment
人って、良い時はチヤホヤして、悪い時は離れてしまう、とっても身勝手な生き物だ思います。私の父は自営業で成功していた時は親戚にも他人にも大盤振る舞いをしていました。父も母も、御馳走はみんなで分けて食べる様な人でした。父が蒸発して母が邸宅を売却した時は、親戚や赤の他人達は高価な品物を欲しがり持ち帰りました。当時、私の両親をチヤホヤしておきながら、父がいなくなり亡くなってから、彼らは180度態度を変えてしまい、利用価値が無くなった時点で離れて行きました。父の通夜には父が自分で作った梅酒まで持って帰ったり、高価な品物も持ち帰っていきました。母もお人好しでしたから。その後は、何の音沙汰もなく手のひらを返されました。私も、昔は「社長の娘」でチヤホヤされました。だからと言って、高慢な態度をとった事はありませんが、やはり掌を返されました。だから、差別や偏見や良い時しか集まってこない人が嫌いなんです。ましてや、知的障害者や認知症など御本人や御家族の責任ではありませんから。私は、偏見や差別と闘います。
小林様の貴重な経験も宝物に、相手が例え同業者だろうが、世俗と闘います。小林様やお姉様が味わった屈辱を味わう人が減少する様に、私は「認知症の人と家族の会」や組織と一緒に闘います!見守っていて下さい!
プログ主(小林)の発言
人間は弱者に本当に同情することはできない、自ら弱い立場に経済的なことでも病気でも何か弱い立場にならないと経験しないと弱いということがいかに辛いか実感しません、姉自体がそもそも弱さを知らない女性でした。自らも優秀だといいつづけ最後に認知症になりぼろぼろになった。自らもできなくなり銀行のことなどがわからなくなり悔しがっていました。わからなくなる、できなくなることに自ら憤りを感じていた。その不満が他者への暴力へとなりやすいのが認知症だった。何度もいろいろ書いてきたようにどんな優秀な人も強い人も弱者になることがあるのだとショックでした。認知症はレ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも相当な優秀な人もなっていますから人間は誰でも弱者になる、弱いものだと実感しました。姉はそもそも人に差別されたりいじめられたりするような女性ではない、強い人でしたからありえなかった。だが一転して弱者になり差別されみじめなものとなった。あれだけ優秀な強い人が知的障害者になることなど今でも信じられません、認知症の人の不思議は知的障害者になっても人から馬鹿にされたくないというプライドを持ちつづけることでした。それが生まれつきの知的障害者と違っていた。だから正常の時のように接しないと怒ったりするからめんどうであった。
玉本様もいろいろと辛い経験なされたようでですね、「社長の娘」として扱われていたのが一転して変わってしまった。私も弱者になったものをかかえこんだとき、人間はそうなった時、助ける同情する人より弱みにつけこむという人が結構いることです。笑っている人もいました。人の不幸は蜜の味とかいいますがそういうこと経験しました。弱者になったから平身低頭することが多かったです。姉もいろいろ正常の時は援助したり助けたことがありましたが認知症になってから逆によりつかなくなった。確かに人間いい時だけ見ていたら人間のことはわかりません、一旦窮地に陥り弱者になったときどういう態度に出るのかそれで人の真価がわかるということあります、弱者になることがどれだけ辛いかこれはそういう体験をしないとわからないです、弱みにつけこむということは本当に人間はひどいと思います、でも人間は必ず弱い立場になる、一生のなかで強い立場で生き続けられる人はまれでしょう。最後は結局死ぬのですから人間は弱いものです。どんなに強い人でも最後は弱いことを自覚させられる。体験に裏付けられた同情は本物だしそこから行動されることは心強く思います。そういう人が現実にいたということも心強いことですし認知症や弱者になったことも励まされることでしょう。
玉本様の発言
冬障子より
http://musubu.sblo.jp/article/35186163.html#comment
私は、まだ41年しか生きていない未熟者です。でも、41年の間に、同級生よりも倍の苦労を味わいました。幸せは歩いてこない…だから、歩いていくんだね♪という水前寺清子さんの歌にもありますが、歩いても歩いてもなかなか見つかりません。小林様や、他のコメンテーターの方がおっしゃっておられる様に、きっと、幸せは雪が溶けて寒い季節を乗り越えた後に、忘れた頃に訪れるものなのかもしれませんね。幸せの価値観は各々違いがあるでしょうが、我先にと、悪質な手段を使ってでも目先のメリットを狙い人の幸せさえ奪う悲しい世の中です。
私が望む私生活での幸せとは、好きな学問に没頭し感受性を育てる為に、普通の穏やかな静寂な生活を守りたいだけです。元々高齢者さんが好きなのですが認知症の方の前では、心からとびっきりの笑顔になれます。私自身の自然な笑顔を守っていきたいです。贅沢な望みだとは思いません。雪解けを待ちます。人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です。
プログ主(小林)の発言
>人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です。
私も確かに長く生きてしまった老人だけど実際は他の方と比べてそれほど苦労したとはいえません。もっと苦労している人を見ていますから、苦労人とは言えないです。その証拠に本当に
弱者としての経験をしたのは姉の認知症の介護をした時でありそれまでは本当に弱者としての痛切な体験をしていません、弱者になることはこういうことか本当に実感しました。そして姉は優秀であり強い女性でしたから人間はこんなに弱くなるのかということを身近でまざまざと見てショックでした。人間は弱者となる体験を心底していないと人間のことはわかりません、それが老人になって誰でも自覚させられる。でもその時はすでに遅かった。人間の弱さは老人になるまえに、80過ぎてからでは遅い、その前に自覚させられれば人間として酸いも甘いも御存知な人となる。こういう人は他に結構います、それは学問なんかない人です、現実近くに知的障害者を90才になってまでめんどうみている女性いますからこういう人は人生の酸いも甘いも御存知な人でしょう。学問あっても人生のそうした経験がない人はいくらでもいます、40才ということですが40才でもそういう体験を積んだ人はいますから必ずしも年齢だけで決められないです。
年取ったからといってみんなが成熟した酸いも甘いも御存知とはならないでしょう。自分の場合は20代では辛い経験を結構していますがその後はしていませんから他の人の方が苦労している。人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません。
その他哀月様とウィナー21小八木店様の発言がありました。ありがとうございます
コメント欄につづけて反映されないのでこちらに別にまた書きました。
兄の訃報を聞いた時、自宅に一人でいたのですがパニックに陥り、母に連絡する前に、近所で可愛がってくれていた独居のお婆ちゃんのところに駆け込みました。相手が認知症だという事も忘れて膝元でワンワン泣き崩れてしまいました。
(そのお婆ちゃんは、私が認知症だと分かり御家族に介護サービスの利用を勧め、今は機嫌よくサービスを利用しています。)やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。
私は、認知症の方でも一人の人として接しています。そのお婆ちゃんの魂と私の魂が調和した安心感を得たせいもあって、人前では泣かない私が涙腺が壊れてしまったように大声で泣き続けました。
「人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません」
性格が曲がった人も知っています。
自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人も。
生まれた時から親も兄弟もいない可哀想な人もいます。今にも飢え死にしそうな子供もいます。私には筋ジストロフィという先天性の病気で生まれた時から、普通に過ごす事が出来なかった友人もいます。
ですから、私の苦労も苦労の内には入らないと思っています。嫌な目に合わされて、少々、人に対して臆病になった事もあります。弱肉強食の時代ですから、確かに苦労をした人は性格が歪んでしまって、悪事を働いても強い立場に立とうとします。政治家にも似た事が言えるでしょうね。私にも自分に負けて歪みたくなった事は多多ありました。でも、いつも際で引き返すんです。歪めないのは、弱者の立場が分かるからなんです。目先のメリットに目がくらんで、神様の言い付けを守らずにリンゴをもぎ取ったエバにはなれないんです。いやしい人間は最終的には信用を無くしてしまい裁きを受けて、本当の孤独を一生味わう事になると思えるからです。ライブドアの堀江氏や音楽家の氷室氏のように頂点から坂を転がり落ちるような生きかたを見て思いました。損して得を得るといいますが、私は今の世の中を生きて行く上で必要な、温かい心をもった信用出来る人を見つける事が出来るだけで得を得たと喜んでいます。小さな幸せで良いんです。小さくて平凡な普通の幸せを築いて守れるだけで。
やはり、人の痛みが分かる方の口から出る言葉は、温かくて説得力や共感出来る事が多いです。占い師でも外れる事もあります。ノストラダムスの大予言も外れました。人は自分で計画していたことでも外れてしまう事もありますし、未来の事は確約できないのかもしれません。私も、若年性認知症にはなるまい!と予防していても絶対的な確約はしてもらえません。そして、初めての経験は誰でも戸惑い困惑してしまうと思います。小林様も、精一杯出来る事をされたのですから。ブログで文字に残すという事だけでも、お姉様や人を大事にされておられるお人柄が伺えます。そういう温かい御気持ちが持てるという事は、年齢的にも余裕がなければできない事だと思います。年をとっても、いつまでも自分の事しか考えられずに弱い者を食い潰し天国には行けないような生きかたをいている人もいます。
私は、私の事も気にかけてくださりながら、御自分の心も正直に語り謙遜されておられる小林様の存在にも感謝しております。世の中、捨てたものではありませんね。人を思いやりながら共存共栄できれば平和で穏やかな世界になるのに…自分の事しか考えられない横暴な人が減って、お互いを大切に出来る思いやりのある人達が増える事を願って止みません。
温かいお返事、有難うございました。感謝。