2010年03月09日

南相馬市図書館での泉官衙跡の講演の要旨

南相馬市図書館での泉官衙跡の講演の要旨 

泉官衛跡は行方郡の役所として製鉄遺跡と密接に関係 

今回の南相馬市の図書館での講演会の要旨を説明すると泉官衙跡は明らかに金沢地区の大規模な製鉄遺跡と関連して新しく設置された官衙であり役所である。磐城の根岸郡家跡などはもともと土地の豪族の住んでいたところに建てられた。泉官跡は全く新しく設置された。その理由は大規模な鉄の生産が蝦夷征服に緊急に必要とされたからである。その前は宇多郡の新地の武井製鉄遺跡が先であった。

 行方郡は宇多郡から分離してできた後発の郡だったのです

http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20829241.html

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 真野郷の前に「浮田国造」がありこれは毛野氏系統に属している。在地の勢力として存在した。つまり宇多郡の方が行方郡より先にあり新しい勢力が入り宇多郡と行方郡に分割された。行方郡は常陸に行方がありそこに住んでいた人たちが移動してきたから名づけられた。その移動の目的は製鉄事業に参加するためである。 今回の講演でも他の論文でも小高の横大道遺跡で新たに製鉄炉跡を発見したということがかなり重要な意味を持っていた。何故ならこれは関東から来た人たちがたずさわったものでありより新しいのである。最初に来たのが岡山県とか滋賀県の人たちであり次に関東の人たちが来た。関東の人たちでも技術者は渡来系だった。なぜこの地域に製鉄のために移住する人が多かったかというと蝦夷征服のために多賀城が作られる前の前進基地として作られた。中国でも郡は軍なのである。つまり郡は郡の駐屯地の意味だった。そして泉官衙に米が運ばれ倉に納められた。その木簡が発見された。 

「嶋□郷□□里」の「□□白人」□一石□□十一日 

という名は渡来人に間違いないだろう。これは小高の横大道遺跡の製鉄にかかわった人かもしれない、この時関東から米が運ばれてきたという。米がまだこの地でどれくらいとれたのかわからないし米自体とれたかどうかわからない、米を納めたというとき関東の方から運ばれて納められた。その米を食料として金沢遺跡の大規模な製鉄が行われたとなる。現実に金沢製鉄遺跡に通じる官道が作られていたのである。製鉄所と密接に結びついて泉官衙跡はあったのである。米を倉に納め食料として鉄生産の管理所みたいになっていたのが泉官衙だったのである。泉官衛は中央の役人がかかわった具体的なものとして明確化された。

奥國行方郡火、焼穀穎二万五千四百餘斛

という記録も米がいかにここに貯えられていたかわかる。この神火と呼ばれる事件は全国に起きていて神の祟りとしたが裏には複雑な利権、不正があった。その不正ごまかすために倉に火をつけたのである。確かなことはこれだけの米を貯蔵していたのだから製鉄にかかわる人の数も多いし食料を供給せねばならない、泉官衙はその基地であり金沢遺跡と頻繁に行き来する役所だった。この食料を米を調達することは民を疲弊させた。それで神火もそのことと関連して起こった。なぜなら全国的に起こったからである。つまり泉官衙跡とは具体的に蝦夷征服のための武器(矢じりなど発掘)農具や仏具の調達拠点でもあった
運河があり木材も運んでいた、川を通じて物資も運び込まれていた。海からではない川が交通路になっていた。新田川は短い小さな川じゃないかと思うが古代では道はない、短い所でも川をつないで物資を運ぶと楽なのである。奈良とかでも川で物資を運んでいた。川をつないで物資を運んでいたのである。

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 笠原使主 かさはらの‐おみ
 6世紀前半
豪族
武蔵国造(
むさしのくにのみやつこ)埼玉(さきたま)郡笠原郷(鴻巣(こうのす))本拠とした。同族の笠原小杵(おき)と国造の地位をあらそう。隣国の上毛野小熊(かみつけのの‐おくま)支援をうけた小杵に謀殺されかかったが、大和朝廷の裁断により国造となり、小杵は殺された。恩に感じて安閑天皇のために4ヵ所の屯倉(みやけ)をもうけたという。 


この事件が行方郡と宇多郡に分割されたことににている。ここも毛野氏が在地勢力としてあり後続の大和王権の大伴氏などの進出により勢力が拡大化されたからだ。その時みちのくの真野の草原が中央の奈良に知れ渡った時期だった。そして真野郷の寺内に前方後円墳金銅双魚佩が発見された。この前方後円墳の主は大和王権系から金銅双魚佩を授かった。草原とは地名であり伽耶のことであり製鉄技術者の渡来人が集中して移住した地域として草原があった。百済郡とか大阪(攝津国)にあるのと同じである。そうでなければ草原という地名の謎がとけないのである。


  

講演者−岡田茂

 

講演内容とほとんど同じものがインタ-ネットの中にあった。

 

これなどが詳しい

http://www.mahoron.fks.ed.jp/kaisetsu/14_tetsu.pdf

posted by 老鶯 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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