春の暮別れる道の三つかな
three parting ways
in the evening of spring
in the distance
春日さし細枝の影交わりぬ橲原村の午後の静けき
橲原に春の日さして細枝の影交わりて墓の眠りぬ
午後静か春の木漏れ日苔にさし木の根露に流れひびきぬ
八木沢の峠に望む海なりき冬の名残りの雲棚引きぬ
二筋の滝のひびけり八木沢の峠を越えぬ春の日さして
春の鳥夕べ静けくなきにけり家のともしき飯館村かな
飯館の深谷淋しも一二軒ゆく人まれに春の日翳る
飯館の森に鳴きける春の鳥その声のみそひびき暮れにき
残雪の安達太良見えてなおはるか会津の方に春日沈みぬ
飯館に二本の木静かなり春の日影の移ろい暮れぬ
飯館の森に鳴きける春の鳥その余韻の深く静まり暮れぬ
飯館の深谷に入り春の鳥鳴くや静けく我が聞き入りぬ
飯館の森の広しも春の鳥また一羽鳴きひびき暮れにき
飯館の森の静けく春の鳥遠くにひびき友を呼ぶかも
飯館に心鎮めよ春の鳥森の深きに鳴きて暮れにき
飯館の池の氷も溶けにけり一本の松夕暮るるかも
電動自転車で午後から飯館に出かけて7時ころ帰って来た。八木沢峠を上ることができた。ここがやはり飯館には一番近道なのだ。この坂は長いから予備の電池をもっていってもやっとまにあうくらいだった。やはり坂だと電池をくう。でもこれだけの坂もスイスイ上れるのだから気持ちいい、眼下に太平洋が見えたが以前として冬の名残りの鈍い雲がなびいていた。阿武隈からここに出たとき海を望めるから海に出るという気分になるだろう。浜通りの人はここから見ると以前として冬の名残りの雲がたなびき山は閉ざされた感じになる。海はやはり解放する感じになるのだ。
飯館はいつ来ても何かしんみりとしてしずまりかえっている。街すらないのだから森が覆って家が点々と離れて置かれている。春の鳥の声だけが澄んでひびいてくる。あとは何も聞こえない、森閑として静まりかえっている。飯館だけは他の村とは違い特別に静寂につつまれている。
何も変わったものがないのだけと常に特別な静寂を感じてしまう。今どきこうした静寂境の村は貴重な存在だろう。電動自転車だと半日で来れるようになったから気楽である。深谷というところも何かその地名にあった場所だった。ほとんど通る人もいない、車も通らない、まさに谷はないが深い谷の感じである。その道をゆくと道は三つに別れていた。月館と霊山の方にゆく道である。春だからなんだか遠くに誘われてゆく・・・でも今はなかなか行けないのだ。とにかく電動自転車は役に立つものだった。気楽に飯館まで来れることは行動範囲が広まる。なんと言っても坂をスイスイ上れることが行動範囲を広めるのである。近くでも坂が多いからなかなか行けないところがかなりあったからだ。
短歌とか俳句はやっぱり縦書きがいい、縦書きだと頭に記憶されやすい、横書きは記憶しにくい、やはり日本人の文化は縦書きだから頭もそうなっているのだ。だから今度縦書きにして出してみる。