
縄屋と引き込み線
近くに縄屋という屋号の家がある、いや今やあったとなる。この縄屋と国鉄時代の引き込み線は一体だった。縄を引き込み線で運んだからだ。当時引き込み線は必ず鹿島区のような小さな町にも必ずあったのだ。国鉄時代は駅中心に街は動いていたのだ。江戸時代の街は街道沿いに作られたから駅前から真っ直ぐの通りではない、鹿島区では駅前から真っ直ぐな通りでなくて昔の街道沿いに通りがある。原町区、小高区は駅前から真っ直ぐな通りが長いから駅前を中心にして商店街が作られたことがわかる。これは当時新しい通りだったのである
鉄道はそもそも磐城でも炭田があり石炭を運ぶものとして作られたし北海道でも石炭を運ぶためだった。資源を運ぶためにまず作られたのだ。森林鉄道もだから各地にあり原町森林鉄道もあった。浪江とかにも通じていて木材を運んでいたのだ。木材は国産が主だから大量に運ばれていたのだ。飯館からも葛尾からも運んでいた。それで当時の人はトロッコ列車が通ったのを記憶しているのだ。この森林鉄道を探り歩いてインタ−ネットにのせている人がいたから熱心なマニアがいるのには驚いた。国鉄時代には駅前に国鉄専用の住宅地がありそこに移ってきた人が住んでいたのである。国鉄は国の主要な仕事だったのだ。
自転車は、町の自転車屋が注文すると、部品が鉄道の貨物として送られてきて、それを自転車屋の親父が組み立てて、末端の消費者に販売するのが基本だ。部品代はもちろん自転車の「定価」に比べれば安く、どのぐらいの割合だったかは(昔聞いたときは知っていたが忘れた)多分2〜3割ぐらいか? 町の自転車屋は、小型トラックが普及する以前は、駅の傍にあることが多かった。昭和30年代、40年代の半ば頃。昭和40年頃の自転車は、高かった。大人用が3〜5万ぐらいしただろうか。別に高級品というわけではなくて、鉄製で、(良い製品は亜鉛めっきされたもので、)重たかった。値段の高いものは、ステンレス製品が多くつかわれていた
自転車の今一番軽いのはカ−ボン製である。仙台の自転車屋で25万で買った人がいた。7キロしかないから驚きだ。自転車も鉄道で送られてきたのである。
当社は「縄屋」(なわや)だったんです今ではほとんど見かけなくなりましたが、農家から藁(わら)を購入し、それで縄作っていました。昔は、縄が重要な梱包材料で農業でも藁が大量に出る時代でしたから、各地に「縄屋」さんは存在していました。ところが、昭和30年代半ば頃になりますと、農業の機械化が進み稲刈り後の藁を細かくしてしまい、材料として入手するのが困難になりました。この業種の転換期を迎えていとのでしょう。
http://satte.yc1.co.jp/townpres/fr24/fr24.htm
縄は江戸時代から使われていて荷縄屋と言われと言われていたし「縄屋」という屋号の家も各地にありそれで財を成した人もかなりいた。縄屋九左衛門 縄屋長太夫とかいる。縄は生活に欠かせないものだった。
建設途中の城塞の脇では、鍛冶屋、石屋、縄屋など、それぞれの作業場で道具が作られています。例えば鍛冶屋では、鉄を熱して木を削るためのかんなやなたなどの刃を作る。もちろん木材を固定するために使う釘1本から鉄を打つため、気が遠くなるような作業です。石屋では、切り出してきた石を積み重ねやすいように、1個ずつ四角形に削り、縄屋では麻をよって丈夫な縄を作っています。
http://www.fe-mail.co.jp/travel/globalfemail/60928.cfm
これは外国でも同じだったのだ。外国でも生活自体似たものがかなりあるのだ。「縄屋」という屋号があったとするとそこから引き込み線とか輸送関係やら連結された歴史があったのである。江戸時代の街道沿いの街から鉄道の駅前通りから車時代になり郊外型のス−パ−になった。交通によって商店街が変わってゆくことがこれでわかる。グロ−バルに地方史でも結びつくと興味深いものとなる。一地方だけではないグロ−バルな視点が入ってくるからこれは世界史にも通じるようになる。郷土史は狭い限定されたものとして終わってはいけないということがこれでもわかる。ここにインタ−ネットで歴史を調べる意味があるのだ。
インタ−ネットでは編集することにより活きてくることがかなりある。インタ−ネットは編集して読むものであり断片でも編集すると意味を帯びてくるものなのだ。だから編集能力が必要なのだ。「縄屋」というキ-ワ-ドでこれくらいでてくれば編集できる。ただどこまで引用していいのか著作権の問題が残ることは確かである。郷土史に関しては資料は狭い地域でもいくらでもある。でもそれをいかに読み解くか編集するかが問題なのである。資料がいくらあっても出してもそれを活かすことができないと宝の持ち腐れで終わる。資料は材料なのだがそれを編集して意味あるものにすることで資料は活きてくる。これはそれぞれに興味が違うから創作でもあるのだ。