2006年02月18日

春の雲(脳と心は科学できるのか?)

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坂越えて隣の市へ春の雲

認知症の集まりがあったので言ってみた。七八人くらいしか集まっていない、ひどいのは徘徊している人で車で追っかけているという、食事することも忘れて何度も食事してもやせてゆくのも不思議だという。みんな症状はにているが看護しているのはみんな中高年以上の女性だった。男で看護している人は少ない、それなりに家族がいるので看護できる。自分の場合は男一人しかいないから苦しいのだ。隣のばあちゃんが助けてくれているというのは意外だったがそういう近所がいるのはありがたいことだしそうでないとこの認知症は家族や地域でめんどうみるのは限界だでてくる。ともかく話を聞くだけでも多少は良かったが何か助けられるというのは介護認定を受けた方がいいというくらいで得られなかった。

この病気で脳とか記憶とか心とは何なのだろうという疑問につきあたった。人間にとって心は一番不思議なものであり解明されていない、脳のどの部分が何の役割をになっているのかは解明されているみたいだが脳というのはやはり人間の体の中で一番わかりにくいものである。それは脳と心がどういう関係にあるのかわからないからだ。記憶するということさえ様々な記憶の仕方があるのだ。認知症の場合は図のようにABCDというふうに時間の経過の中で連続して記憶できないから次々にまるっきり忘れるから一貫して物事を考えることができなくなる。

そしてあることを何回もこだわり言い続けるのは黒い固定した記憶になりそれが妄想化して何度も言いつづけることになる。記憶は固定化されるものではなく柔軟に臨機応変に神経細胞が新たに結びつき新たな発想や行動につながる。脳の記憶細胞が破壊されると一部の記憶が固定化してそれに執拗にこだわりそればかり言い続けている。一回言えばわかるのに何十回も言っている。条件反射のようにそれにこだわりつづけている。それが柔軟性を失った記憶が固定されて妄想化してそれが否定されなくなる。そんなことないよと言っても無駄なのである。否定できない記憶として固定化されてしまったからだ。いづれにしろ脳と心が科学できるのかとか全くこの世界は不可思議の世界であり人間にとって最も未知の世界であり認知症もまたこれも何なのか不可解なことが多すぎるのだ。脳の細胞を増やすとか何らか脳に記憶する細胞を移植できる増殖できるとかそんなことが試されているから将来的にはそれで認知症が直るということもありえるのか?これは宇宙の不思議と同じように全く不可解な世界なのである。
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