2010年03月01日

インタ-ネットの匿名と実名の問題


インタ-ネットの匿名と実名の問題

インタ-ネットでは匿名が主流だから問題になった。今はかなり現実の社会が反映されて実名の人が多い。ただインタ-ネットでは同姓同名の人がかなりかならずいる。これは同一人物なのだろうかという問題も出てくる。匿名と実名の差は匿名だったら架空の人間と話しているのかとなる。対話してもその人間が実在しているのかとなる。例えば人と人の対話は生涯つづく場合もあるし死後までつづく場合がある。その人が匿名で架空だとするとその場その場の電子空間で消えてしまうものとなる。対話するにしても真剣味はなくなる。話す方にしても真面目に話する気にはなれない、実在しているかどうかわからないものに真剣さはないだろう。
では匿名がすべて否定されるものかといえばそうでもない、若いときはどうしても浅薄だから馬鹿な発言も多いからそれをいちいちとがめることもできない、議論の訓練として最初、パソコン通信は機能していたのである。だから匿名でも良かった。それがだんだんインタ-ネットが社会化してきたときやはり実名化がまたとりざたされた。匿名だと発言しやすいということで反応も見やすい、実名になればコメントも慎重になるからなるべくしないということにもなる。自分はこれまで一方的に書いてきた。でも誰かが読んでいることはアクセス解析でわかる。なぜ「古池や蛙飛び込む水の音-意味」この記事がいつも読まれてていることの不思議である。これだけは常時読まれているのだ。なぜこれだけがこんなに読まれているのか不思議である。どこか有力なサイトにリンクされているのか?不明である。ともかく記事が膨大だから何かは読まれている。
でもコメントはほとんどないから誰が読んでどう感じたかわからない、でも読まれていることは確かなのである。本を読んでもいちいち作者にコメントとか感想を書いて送ったりしないからそれと同じである。ただ読まれていることは確かなのである。

人間が本を読むにしても他者の意見に耳を傾けるにしてもメデアが何であれ対話が基調としてある。本であれある有力な人との対話は延々とその人の死後までつづいている。その対話に終わりがないのである。軽いものはその場で対話も終わるが重い問題となると延々と対話がつづく、残した文にそれだけの重みと深みがあるからそうなるのだ。芸術作品でも芭蕉の句でも延々と語られつづけているのはそのためである。誰とも直接対話しないにしろ人間は本質的に全く孤独から始める人はいない、必ず先人と先人の残したものと対話して文章を書いているのである。書くことはそもそも直接対話しないにしろそうした人類的な知的共同作業なのである。

ただ一人でも偉大なる師をもちその人との対話を基本にすることは自分を明確化しやすいのである。膨大な先人の偉人の残した本を師とするとき目がくらんでその人たちが本当に生きた人間なのか、ただ本の中にだけ存在するものなのかと具体性がなくなってしまうのである。
本だけではなく誰か生きた人間を生き生きとイメ-ジできると本に埋没することはないのである。キリストでも本当に実在したのか?そういつうことも生きた人間を通じて語り伝えられたのであり
聖書だけを本だけを読んでも実感しないのである。現実に今生きている人間から過去の人間を知る。そういうことを人間はくりかえしてきたのである。

インタ-ネットではそうした重みのある深みのある長い対話をするには向いていないのかもしれない、でも今や浅薄なものばかりかというとそうでもない、出版されない、本にならなくても重い内容のものも出ているのだ。これは本に出るような人だと思ったがやはり特異なところがあり出版されないのだろう。異端的なものは出版されないからである。だからインタ-ネットがすべて浅薄なものとは言えない時代になっているのだ。 でもそういうものを読むだけで必ず思想的に左右される。自然とそういう異端的思想でも左右される。だから時の支配者にとっては自由な言論の空間は常に危険視されたのである。出版界とかマスコミは権力で支配されるがインタ-ネットはされないから危険視されるのである。でもそうした自由な空間がないと新しい創造はありえない、だからいくらでも自由に発言できたり作品を発表できるインタ-ネットは今までにないものでありどう解釈していいかまだ不可解なものとなっているのだ。
posted by 老鶯 at 23:07| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
とても、共感出来る内容でしたので、コメントを書かせて頂きます。

(インタ-ネットの匿名と実名の問題)
私は、ネット上でのコメント投稿は初心者です。最近、この問題の恐ろしさを実感しました。
私が匿名を使わないのは、世界に一人しかいない「私」という存在を偽りたくなかったからです。そして、認知症の方達と関わる中で、教えられた事がありました。差別や無理解者による偏見に耐えられない、認知症ゆえに仕事が出来なくなるから隠したい、「自分は認知症ではない、認めたくない」、色々な心理が作用して罹患した事さえ隠蔽したくなるのが普通だと思います。
しかし、今は認知症の方でも、病気を理解してもらい生きやすいような世間にする為に、クリスティーン・ブライデンさんや足立昭一さんの様に、実名を堂々と公表し、ネット上での映像を公開、講演活動、ブログなど、ご自分で出来る活動をしておられる方もいらっしゃいます。御家族も、図りしれない葛藤や悲しみを抱えながら、それでも行政や世間の国民に理解してもらい生きやすい世の中にする為に、正々堂々と経験談を公表されておられます。その様な、勇姿を拝見すると、私が支えて差し上げなければいけないのに逆だなぁ〜と感じつつ涙が出ます。私は、彼らに感化されて正々堂々と、自分の名前を出して、自分が書いたコメントに責任を持ち、何方かのお心に寄り添い、微力ながら支えになる事が出来れば、この上無い幸福だと思っています。
完全無欠ではありませんが、その気持ちには変わりません。

今はストレス社会と言われていますが、匿名を使って解消しているようなトラブルメーカーも大勢いるでしょう。そんな人は、突き止める事自体が不可能に近いかもしれません。。
ネット上だけではなく、私も被害にあった事があります。自分の名前を使われて、住民移動の手続をされたり、自分の名前を使われてピザ屋や通信販売に電話注文されたり、水面下で立証困難な悪質な事をする人は、逃げ癖がついていて、やみつきになってしまっているのか、裁かれなければ一生改善できないのでしょうね。私も被害を被った事がありますので、抑えきれない憤りを感じています。そして、「逃げる」という言動に心から軽蔑しております。偽善者の特徴かもしれませんが、匿名性を使って、相手が苦しむ姿を見て楽しんでいるような人間性は、罪悪感すら感じていません。裁かなくては、死ぬまで止まないでしょう。なんて、悲しい情けない人なのかと責める言葉も失せてしまいます。
神様は許さないでしょう。

どんなに、職種的にも社会的地位や権力があっても、マナーやモラル等、基本的な教育が抜け落ちている人が存在する以上、改善など不可能です。浮上させないと止まらない無責任な世俗に憤りを隠せない、今日この頃です。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年03月03日 13:44
玉本あゆみ様へ

>私が匿名を使わないのは、世界に一人しかいない「私」という存在を偽りたくなかったからです

インタ-ネットは匿名が多いですが有名な人や実名でプログを書いている人も多くなりました。
インタ-ネットもだんだん実社会を反映されてきますから実名の人が多くなってくるでしょう。
もはや少数者のものじゃない、社会的責任も生まれてくるでしょう。実名だと危険になることは確かでしょう。でも責任も生まれます。匿名は否定できませんがやはり真剣に話ができない、相手にできないです。実名になると例えば「玉本あゆみ」と検索するとインタ-ネット上で発言したことがほとんど出てきます。この人はこういう人だとかこういうことに興味もあるのかと全体的にわかってしまう。匿名だと掲示板で発言しても名前がみんな違ってきますからわからないです。
インタ-ネット上では記録されたものがなかなか消えないですから実名の人の発言はあとあとまで残ります。でも匿名だったら発言しても残りません、匿名だといくつもの名前があるから一人の人の発言にはなりませんからややこしくなるのです。

真面目な人で真面目なことを追求するとなると匿名では発言しても信用できませんからなかなか対話も成り立たないでしょう、そういうことは私も常日頃感じています。でも実際に実名で発言するとなると危険な面もある。でも敢えて実名で発言されたので引用とか許可できる。この人は真面目なことを追求して信用できる人だなと思ったからです。匿名ではそもそも信用するというのがむずかしいですから真面目な対話もなかなか成り立ちにくいでしょう。

認知症については私は老人の認知症は介護しましたが若年性の認知症についてはわかりません、でも認知症を理解することがむずかしいから回りでも危険だとか偏見、差別が多かったです。親しかった人もよりつかなくなりました。認知症は殺人事件などにはならない、迷惑な面はあってもそこまではならない、認知症についてはまだまだ理解できていない、実際現実に接してみるとわかりにくいですからしかたないでしょう

いろいろ発言いただきありがとうございます、こんなに書いて下さった方は今まではこのプログでは一方的でありありませんでした。いろいろ共感することが多いようです。
Posted by プログ主(小林) at 2010年03月03日 22:40
小林様

<匿名は否定できませんがやはり真剣に話ができない、相手にできないです。

そ〜なんですよね。匿名だと、何処まで信用すれば良いのか疑う事から始めてしまうんです。
真剣にコメントを書いているのに、からかわれているように感じる事もあります。
だから、内容を拝見して信憑性を確かめる事にしています。本人のモラルだけを信じてもトラブルは回避できません。認知症ネットは、全く縛りがない為に、人の匿名を使う事も許容されていたようで、トラブル防止不可能なシステムだったとの事です。何でもOK、自由自在に出入りできるシステムにも問題があります。
私は、承認する管理者がしっかりしているサイトを選んで、コメントを書いたり、私自身も業務上の事で相談させて頂こうと思っています。
Posted by 玉本あyみ at 2010年03月04日 17:44
>私は、承認する管理者がしっかりしているサイ>トを選んで、コメントを書いたり、私自身も業>務上の事で相談させて頂こうと思っています。

インタ-ネットでも最初は掲示板で不特定多数の人々が匿名で発言して議論していましたから危険なことが多かったです。今でも有名人の発言でプログが炎上したりやはり攻撃されますから実名を避けている人も多いです。今はプログを読めばだいたいその人のことがわかるから実名で発言してもそんなに問題起きないでしょう、ただプログのコメントでもインタ-ネットは手紙と違い公開になる、誰かが読んでいることが違います、私的な手紙のやりとりとは違うんですよ、また一応誰でもコメントできます、ここでも匿名だから発言を拒否していません、第一相手が実名だと言っても確かめることできませんから・・・・実名だと言えば信用するほかありません。

プログは管理している本人が発言を拒否できますからプログの主催者の意向が反映されます、アクセスさえ禁止できますから掲示板とは違い安全でしょう。

でも様々な人の意見を反映されることはプログではむずかしいでしょう、それで外から読んでいる人はつまらないと思う人もいるでしょう。実名でないと発言禁止となると誰も発言しなくなるでしょう。特に病気とか精神の病とかの相談などになると実名だとしにくいですから、今はインタ-ネットでもいろいろやり方ができるから秘密のやりとりは公開しないということもできます。

インタ-ネットと今までの手紙とかの相違は手紙ではないから一応万人に公開されていることでしょう。その人の名前を一貫して実名で発言していると出てきますからやはり公開していることはその人の私的な事情がわかったりしますからその辺は慎重にしないとまずいかもしれません、その辺はやはり気をつける必要があるでしょう。
Posted by プログ主(小林) at 2010年03月04日 21:25
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