
春の日山国から東海道へ
会津や新潟や雪深く雪に埋もれし墓所
めぐりて遠く長篠の古戦場
武田の騎馬軍団は敗れたり
木曽義仲朝日将軍、甲斐の武田は天下をとれず
無念をのみし歴史の跡かな
春の日や我東海道にいでにけり
春の満月の豊橋にいで縦横に電車行き交う
東海道の吉田の城やその橋や
東海道は日本の幹線、人の行き来の盛んに
春の日電車は一路東京へ
駿河湾波のひびきや伊豆半島の沖に島
富士の峰仰ぎ花のお江戸に我も参りぬ
東京いでて常陸の国も広しかな
春光の満ちわたりて勿来の関越え
我が陸奥の真野の里に帰りけるかな
人間の感覚は汽車や電車や自動車や飛行機など交通の便で変わってしまう。江戸時代の歩いて世界を感覚的にとらえた時代と今の時代はあまりにも違っている。一番の違いは時間と距離の感覚である。距離が極端に交通の便で短縮されているから地理というのものも電車の感覚となるし車の感覚となる。長篠という駅があるがこれもわずかに一両の電車が止まったことで自覚したのでありそうでないとわからずじまいになる。ここが信長と武田の衝突した地理的な重要な地点としての意味がわからない、歴史が地理だというとき地理がわかれば歴史がわかるのだがこの地理を知ることは容易ではないのだ。外国に行ってもわかりにくいのは地理であるし地理というのは本当にわかりにくいのだ。縦横に道があり山々があり川があり地理に通じることは一回くらい旅してもわからないのだ。
木曽義仲であれ武田であれ会津であれここは雪深い山国でありその地理的要因で遅れをとり天下をとれなかった。信長がいくら天才でもやはり歴史は地理であり地の利が味方しないと大事はならなかったのである。信長が鉄の船まで作ったことは驚きのように海にまで眼を向けていたのも地理的要因があったからなのだ。地理がわかれば歴史はわかる、だから旅が必要なのだ。現代の旅は距離を極端に短縮する、それでかえって世界を見えなくしてしまうことがある。一方でこの詩のように電車で行く旅はまた別な見方をすることにもなる。山国から一気に東海道へぬけてしまう爽快感のある旅ができるのも現代なのである。
山国ゆ一気にぬけて東海道花の盛りや海望むかな
ノ−トパソコンから旅の報告http://www.musubu.jp/notetrip.htm
前に書いた膨大なものが今では私の遺産でありここからまた枝葉を伸ばし付け加えてゆく、インタ−ネットの便利なのはいくらでも表現できることなのだ。これが出版となるとせいぜいやっと一冊出してそれも書店には飾ることもできず終わりになった。これだけ表現できたのはインタ−ネットがあったからだ。他は全く無視されて終わったからその怨念は消えることはないのだ。