2007年03月18日

孤高なる美(上野霄里氏の部)

上野霄里氏の部−詩一編加える
http://musubu.jp/jijimondaiueno.htm#kokou

上野霄里氏という人間がなぜ現代で理解しにくいのか、文明が本来の人間を見えにくくしてしまった。巨大な科学組織文明が本来の人間を消失させたからである。だから本来の人間の巨大さを追求するニ−チェであれキケルゴ−ルであれミラ−であれアウトサイダ−化して文明の価値観にどっぷり浸っているものは見えないし理解できなくなっている。人間の偉大な個の消失の危機感から上野霄里氏などが反文明人間として佇立することになった。ここには確かに偶像化する危険性があったが組織を偶像化するよりは神に近づく一つのテコとはなっていた。つまり神といっても人間からイメ−ジれる神しかないのだ。

上野霄里氏は知識にしても学者が語る知識とは違う、強烈な個性と人格力から語られているのだ。司馬遼太郎などは豊富な知識で語りかけてくるが人格力は感じられない、人格力で語れる人はまれであり天才だけがなしうると言う人もいる。その骨太な人格力がパ−ソナリティが一貫して彼の語るもの書くものにある。それはやはり天才として備わっている大きな人間としての人格力である。自然の美は人間の資質の反映としてもある。崇高なる美があり崇高なる人間もあって自然と人間は調和する。ただいくら天才でも全能なる神の表現である自然を示すものにはなりえないのだ。そこに人間の限界があるから全能の神を崇めるべきなのである。
posted by 天華 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般
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