2010年02月17日

福島県の東風(こち)について

福島県(浜通り)の東風(こち)について
 

昨日は北風吹きて

今日は東風(こち)吹く

光明るく今日は春北風(はるきた)吹く

東風はかなた海より吹く

東風は海に誘う風

しかし山越えて東風は

丸森や阿武隈山地に吹くも

はるか会津には海よりの風は吹かじ

蒲生氏郷は会津の山に閉ざされ死す

山国の人となりて死す

東風は浜通りでは海より吹く風

広々と海に向かって春は開ける

東風で有名な歌は
東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 菅原道真

「東風(こち)とは漁師ことばで春一番の前に「ふっ」と吹く風の事を」言うとか。
 いずれにしても、道真公が使った言葉なのだから、彼の生きた当時にはあった言葉、あるいは、彼の生きた地域(それとも宮中?)では使われていた言葉であることは間違いない。
 漁師の言葉だとして、それをも道真は知っていたのか、それとも、元来は漁師らの言葉であっても、教養ある人も使うような言葉として流通していたのか。

http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/03/post_9.html
この説は漁師らの言葉にするには不自然である。何故なら京都も盆地であり海から遠いのである。だから日常的に漁師と接することがないからこの説は納得できないのである。ただすでに東風をコチと呼んでいた。京都には東山があり東山となると感覚的にここでは海から吹いてくる風になる。海がないところでは東の山から吹いてくることになる。海に面した地域ではそもそも東山がないからその感覚がわかりにくいのである。ましてや風は本当にわかりにくい、風向きが常に変わっているし一度旅したくらいでは体験できないからである。)「コチ(此地)へ来よと春風を招く心から名づけたものか」という説がもっともらしい。早く春の風がこっちに吹いてきてほしいからなづけたのかもしれない、これは海が見える所でなづけたのとも違う。


「大伴家持が任地越中で、越中ではコチ(東風)の語がないことも珍しく思ったらしく「東の風越の俗の語に東の風をあゆのかぜと謂ふ」と言い、次の和歌を示してくれている

 東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣する小舟(おぶね)漕ぎ隠る見ゆ


越中では東風をあゆのかぜと言っていた。全く違った言葉だった。風に関しては方言がありその土地に独特に吹く風があった。南風がハエというのも全然違っている。東風(こち)は山国で吹いてくる風である。その感覚は山国に四方が山で囲まれている地域に住んでいないとわからないのだ。さらに海に面していても日本海と太平洋は表と裏でありこれも全く違っているのだ。太平洋から東から太陽が昇るのと日本海に沈むのとはあまりにも感覚的に違っているのである。あゆのかぜ、東風がどういうふうに吹いてくるのかもわかりにくいのだ。

御蔵島の風
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mabuta/progra-m/fl-wind.htm

ここでとりあげている風は島は風向きによって上陸が決められるから風は日常的に知っている必要がある。島とか漁師は風を体で知っている必要があった。
浜通りだと

東風(こち)吹くや海より奥へふきそよぐ

東風(こち)吹くや海より山へ吹きそよぐ

峠越え東風吹き来るや海に出む

東風は海より山に吹いてゆく、丸森だと峠を越えて吹いてきた東風もある。この時京都などよりこの風は太平洋から吹いてきた風だと意識した。おそらく丸森の人も海を意識するだろう。ところが京都とか会津では海を意識することはない、できないのだ。 丸森だったら「峠越え東風吹き来るや海に出む」と意識する。丸森は阿武隈川でも狭隘な谷間から流れて広々として太平洋にそそぐことをすでに意識する、海を意識するのだ。川からも海を意識する。伊達政宗の初陣の地が丸森であり自ら名づけた地が

筆甫である。相馬に出て初めて海を意識したともある。丸森では海を意識する。

京都とか会津は海を意識できない、もちろん仙台の青葉城は太平洋さえ望めるのだから海を意識する。伊達政宗がさらに要塞として瑞巌寺を海のすぐ側に配置したことでもわかる。日本は地理が複雑だから風にしても多様だしそれが簡単に肌ではわからない、地域的なものは風土はわかりにくいのだ。
  限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風  蒲生氏郷

氏郷を相馬に想う冬の日にはだかる山や会津にうもれぬ


この山風も山に閉ざされた会津で生涯を終えたことから感じねばならない山風である。海に面していれば春の風は海からそよぐ東風になるが山国では違っている。日本では海に囲まれていても山彦-海彦の世界が別世界になっているから文化的にも理解することがむずかしいのである。


東風(こち)の地名
 
   北海道松前郡   松前町 東風泊(やませどまり)
   青森県西津軽郡  深浦町  東風股沢(ひがしかぜまたさわ)
   宮城県牡鹿郡   女川町尾浦 東風浜(こつはま)
   山形県酒田市   北俣 東風当田(だしあてだ)
   茨城県那珂市   東風谷(こぢや)
   千葉県富津市   東風谷(こちゃやつ)東風谷田(こちややつだ)
   千葉県山武郡   芝山町 東風山(こちやま)
   長野県伊那市   東風巻谷(ひがしかざまきだに)
   愛知県知多郡   南知多町内海 東風畑(とうふうばた)
   山口県下松市   東風浦(こちうら)
   山口県周南市   東風石(とうふうせき)
   香川県三豊市   詫間町粟島 東風浜(こちはま)西東風浜(にしこちはま)
   愛媛県八幡浜市  東風脇(こちわき)
   愛媛県越智郡   上島町 東風浜(こちはま)
   大分県佐伯市   東風隠(こちがくれ)
   長崎県対馬市   東風防島(こちぼうじま)東風泊(こちどまり)
  東風泊鼻(こちどまりはな)東風泊湾(こちどまりわん)
   熊本県上天草市  東風留(こちどまり)
   鹿児島県鹿児島郡 三島村 東風泊(こちとまり)
   沖縄県島尻郡   八重瀬町 東風平(こちんだ)
http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/54348075.html

東風をヤマセとしているのは山から吹いてくるからだろう。北海道の松前だとそうなる。
 千葉県富津市   東風谷(こちゃやつ)となっているきはやはりこちゃとはこちがなまったものでありコチが基本としてある。これは漁師言葉なのか、京都でなぜこの言葉が一般化したのか?漁師言葉だとすると瀬戸内海とかで使われた言葉が京都に入り一般化したのかもしれない、ただ地名としてはここで瀬戸内海は出ていないから不明である。言葉は大和言葉は奈良京都を中心にして広がっている。沖縄とか青森に平安時代の言葉、京都の言葉の尊敬語が残っている。そんな遠い地域に古語が残されていた。こちも京都辺りから遠い地域に広がった言葉なのか?越中であゆのかぜと東風を言っていたのは東風に代わる地名もあるだろう。東風(こち)というとき京都で使っていた言葉が一番古いと考えてしまう。
 


 

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