2010年02月11日

白鳥と鴨と雪(建国記念日)

白鳥や雪に暮れゆく声もなし

白鳥の純白夕べ雪つつむ

白鳥のしみなき白さ雪つつむ

白鳥の寄り合い白し声もなし

一つ松群れにし鴨やこの池になお雪ふりつ春は遠しも

一つ松群れにし鴨やこの池になお雪ふりつ都は遠しも


白鳥は神の鳥に一番ふさわしい、白いことは汚れない純白でありその貴品はまねることはできない、真野川に白鳥はいる、他にも白鳥は今はいる、でも最近わかったことは何でも日々見ていないとその美はやはりわからないのだ。時間の中で会得するものがある。富士山でも毎日見ていればその美がわかる、旅をして一日見たくらいでは自然の美、人間の作った美もわからない、今日は夕方になるころ雪がまたふった。ここは今頃雪降るんだけど結構雪がふる日が多いかもしれない、でもつもらないからたいした雪ではないから電動自転車で買物に行くことができた。それでまた帰り道、平凡な池によって帰る。その池にはいつも鴨が群れている。そして鴨というといつも


百伝う 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ  大津皇子


百伝う  磐余の池に 末長く 群れつつ鴨の あらじ哀しも


鴨というとなぜこの歌を何度もとりあげることになるのか?それだけこの歌が鴨を歌うことでは一番の秀歌でありそれも古代だから今では歌いないものとなっているから価値があるのだ。この池がどういう池でどこにあったのかわからない、百伝う 磐余の池・・・・代々伝えられた古い謂われのある池なのである。そこには平和に末永く仲間と共に群れてあるべき池だったのである。そういう池はみちのくにはない、春は遠しもとしたがこれは時間感覚で遠いとなる。ここに長い時間が流れている感覚である。一方ここに距離的感覚として都は遠しもとしても成り立つ、貴人が流されてきたみちのくという遠い地にあって都を偲ぶのである。

都を偲ぶというとき万葉集では大和になる。

葦辺ゆく 鴨の羽交いに 霜降りて 寒き夕べは 大和し思ほゆ  志貴皇子
今年はやっぱり寒い、梅などでも開くのはまだまだである。みちのくだと関西からすると大和からすると一カ月は遅れるから季語の感覚も違ってくるのだ。 古代では今より寒かったことはまちがいない、大和はやはり日本人の拠り所となる最初の国だったのである。今日は建国記念日だった?じゃ大和を思うことはふさわしかった。

白鳥の詩
http://musubu.sblo.jp/article/27303451.html

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