2010年02月10日

製糸工場女工の労働から働く価値観の変化を歴史的に考察


 

製糸工場女工の労働から働く価値観の変化を歴史的に考察(時事問題の深層40へ)
http://musubu.jp/jijimondai40.html#seishi

母が原町の製糸工場で10年間働いていた。この10年間はそれなりに長く重いものがある。でも必ずしも女工哀史ほどの悲惨さとは思えない労働だった。自宅から通っていたこともあったのだろう。今でも流れ作業などは労働として苦しいから同じである。食べるものなどは味噌汁とタクワンくらいだから違っている。でも現代でも労働は楽ではない、女工だけが特別辛かったともいえない、丸森町の新潟から来た女工は20才前であり名前を記した墓があるがずいぶん死んだものだから何か悲惨だった今になると思う。やはり結核にかかったからこんなに死んだのである。ここで死んだ人を思うとやはり辛かったろうなとは思う。とにかく15才から20才と若いからである。ただ別に結核は国民病といわれ製糸工場でなくてもかかっていた。だから特別製糸工場で死んだから製糸工場のひどい労働のせいだとはならない、その辺が女工哀史として特別に搾取されたとか言われるようになった。確かに製糸工場は生糸の輸出で日本は明治維新以後富国強兵を成すことができた。輸出するものは生糸くらいしかなかったからである。だから国のために働く、奉仕するという働く価値観が生まれた。それは戦争中の歌とにていたのである。みくにのために命をささげる、製糸工場でも支配者側ではそうしむけた。支配者側の意図が大きく働いていたのだ。


明治以降はすべてが国家のための労働であり欧米に追いつくためにそうなった。だから今になると批判されるのはやむをえない、今は働く価値観が全く違っているからだ。でも戦後はすべてが会社のための労働となった。国の代わりに会社になったのである。その会社一辺倒も批判されるようになった。ニ-ト、フリ-タ-がこんなに多いのは何なのだろうとなった。これは団塊の世代の価値観の反映であり子供には自由に個性を伸ばす生き方をしてもらいたいという親の願いからそうなったという分析もうなづける。すでに団塊の世代でも個性的趣味を生きる時代になっていて実際にそれを実現した生き方をした人もいる。でも大方は会社人間の企業戦士となったから会社の犠牲になった。戦争中の国の犠牲になったということと同じでありそれで子供には自分の個性を伸ばし生きてほしいとなりその結果としてニ-トとかフリ-タ-が増えたのである。ここでまた労働の価値観は変わってきた。それがグロ-バル化とともない労働の価値観は今までにないものとなりどうなってゆくのかわからいようになった。個性を伸ばす生き方といってもグロ-バル化で日本が衰退してゆくとき個性どころではない、ただ職にもつけない失業者の群れでありこれは高度成長時代とは比べることができないような悲惨な状態にもなりつつある。個性を伸ばす生き方などいつの時代でもほんの少数者が幸運でできたのであり何百万の人間ができるものではない、ただ労働の価値観そういう方向に向かっていることは確かである。

 
これは論文のように長くなったからホ-ムペ-ジの時事問題の深層に書いた。ここはずっと継続していた。ただアクセス状況など見るのにはプログが便利なのでプログ中心になった。長く論文的になるとホ-ムペ-ジの方が書きやすい、インタ-ネットはインタ-ネットの中の情報を編集すると明らかに論文を書くことができる。著作権に違反しないようにして論文を書くことができる。ただインタ-ネットを丸写しでは著作権違反になる。その辺のかねあいがむずかしいことは確かである。でもインタ-ネットは自ら編集して読むと意味あるものとなってくるのだ。ただ情報を集めていたのでは意味あるものとならない、部分であり断片にしかならず意味がないものとして消失しやすいのだ。編集して読むことはこれはかなり労力と読む力と書く力がないとできないのである。インタ-ネットを創造的に利用することは相当むずかしい作業なのである。
posted by 老鶯 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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