
石に雪家に籠もりて珈琲飲む
つつがなく家に籠もりて冬障子
ものの影写りて静か冬障子
冬障子の中は金箔の障壁画
石二つ晩年静か冬障子
幸せはいづこにあれや石二つ耐えつつ北風唸りけるかも
冬障子という季語も最近はじめて使ったからこれもぴんとこない、松島の観欄亭の障子はいかにも冬障子という感じがしたので使った。昨夜は異常に寒かった。エアコンしてすきま風が入ってきても寒い、こんなに寒いのは余り経験していない、今年は寒いときは寒かった。会津とか雪深い所の感覚はここではわかりにくい、すでに今日は雪はとけて残らない、寒さの峠は越したみたいだけどまた北風が吹いた。これは春北風(はるきた)となるのだろう。季節の変わり目だから気候も変わりやすい、雪の深いところだと家にこもってコ-ヒ-を飲んでいるのがふさわしい。冬が長い、雪が深い、そいういうところでは物語が生まれやすい、ロシアの小説が延々と語り長いのは冬が長いせいなのである。単調な寒い冬にはただ暖炉とかであたたまり回想に耽ったり物語するのに向いているからだ。実際に会津や日本海とか雪の深い地域は日本でもそうなる。雪に閉ざさされる感覚はここではわかりにくい、この世の中幸せをあえて探してもない、かえって幸せを探しにゆくと不幸をもらってくる。幸せを探しにゆくこと自体が間違っているからだ。
幸せはおそらく北風に吹かれてじっと耐えている石にある。何かに耐えなければ幸せはないのだ。幸せはそうした長い忍耐のあとにやってくるのだろう。苦労したから苦しんだからそのあとに幸せがある。冬があって春がくる。寒さの峠は越して春になってくるのだろう。今日は風は吹いたが寒くなかった。晩年はあまり動き回るのが向いていない、人によっては違う、スポ-ツとかする人もいるがどうしてもじっとして回想したり思考したりするのが向いてくる。
冬障子に写る竹
http://blog.goo.ne.jp/kurumiruku1016/e/fd7dc854e3f649e43ee5f05b18f145e3
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
●この世の中幸せをあえて探してもない、かえって幸せを探しにゆくと不幸をもらってくる。幸せを探しにゆくこと自体が間違っているからだ。
>>両面の真理に自己を浸していく事は雪が積もるのに似ている。
幸せはおそらく北風に吹かれてじっと耐えている石にある。何かに耐えなければ幸せはないのだ。幸せはそうした長い忍耐のあとにやってくるのだろう。苦労したから苦しんだからそのあとに幸せがある。冬があって春がくる。寒さの峠は越して春になってくるのだろう。
私は、まだ41年しか生きていない未熟者です。でも、41年の間に、同級生よりも倍の苦労を味わいました。幸せは歩いてこない…だから、歩いていくんだね♪という水前寺清子さんの歌にもありますが、歩いても歩いてもなかなか見つかりません。小林様や、他のコメンテーターの方がおっしゃっておられる様に、きっと、幸せは雪が溶けて寒い季節を乗り越えた後に、忘れた頃に訪れるものなのかもしれませんね。幸せの価値観は各々違いがあるでしょうが、我先にと、悪質な手段を使ってでも目先のメリットを狙い人の幸せさえ奪う悲しい世の中です。
私が望む私生活での幸せとは、好きな学問に没頭し感受性を育てる為に、普通の穏やかな静寂な生活を守りたいだけです。元々高齢者さんが好きなのですが認知症の方の前では、心からとびっきりの笑顔になれます。私自身の自然な笑顔を守っていきたいです。贅沢な望みだとは思いません。雪解けを待ちます。人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です。