2010年01月31日

NHKの無縁化社会を見て・・・・


NHKの無縁化社会を見て・・・・


●無縁では暮らせなかった過去の社会
 
無縁化社会というとき歴史をさかのぼると逆に無縁であることができない時代があった。どんなことしても無縁では生きられない、江戸時代なら無宿者となるけどそれはまさに無縁になることは特別なこととして認定されていたのである。現代の無縁は普通に暮らす人が無縁の中に死んでゆくことなのである。そもそも無縁のはじまりは商売するとき、神社の境内とかで強制的に特別地域として無縁な場所を市を作り出した。そこなら商売していいとなった。商売することは全く土地のものではないよそ者が入ってくるからである。無縁の場所、特区を作らない限りよそ者は外部から入ってこれない、それほど過去は無縁社会とはほど遠い社会だった。そもそも無縁では暮らしていけない、ところが現代は無縁が一般化したのは貨幣経済がグロ-バル化した結果でもある。貨幣でもその無縁化した特区では通用しても村の中で全部貨幣が通用して生活していけたわけではない、村での共同労働があったり村の中では貨幣がすべてではない、でも今は貨幣が金がすべてになってしまった。現実に地方の小さな町であれ村でさえ回りとの関係なくても金さえあればあらゆるものをまかなえる。金で必要なものを全部買えるまかなえる。極端な話、通信販売とかインタ-ネットがあれば家から出なくても必要なもの買えるまでになっている。ということは隣近所とか回りと無縁化しても金さえあれば生きていけるともなる。
 
●金で縁を作る社会
 
NHKの無縁化社会というのは現代を象徴しているものだろう。自分にとっても身近だからひしひしと感じるものがあり自分の未来とも通じていた。ただ不思議なのは大手銀行に勤めていた人は施設に入っているからそこで世話になっているから一人とは言えない、金があるから施設に入っていられる。無縁化社会は逆に金さえあれば有縁を保てる社会でもあるのだ。もし財産家だったら手伝いさんであれ他にも使用人として雇うことができる。その人たちは毎日来てくれるから孤立することはないのだ。一日一時間でも手伝いの人に来てもらえば毎日様子をみてもらえるから安心だとなる。現実一人暮らしで金がない人でもそうしたことを市でしてくれる場合もある。ともかく無縁社会でも逆に金があれば無縁化から逃れられるということがある社会なのである。家族や親戚のつながりよりかえって金で雇ったヘルパ-とかの方が親身に世話してくれたとかの報告もある。金の切れ目が縁の切れ目というけど金が縁をつないでいるという面も現代にはあるのだ。金を貸しているけどその金を返してくれないから縁が切れていないというのも不思議である。一応今やまだ金の縁で切れていないのである。
 
●過去の社会にもどることはできない矛盾
 
現代は様々な条件で無縁化しやすい社会である。また無縁は自由でもあるから自ら無縁を望んで生きることも考慮せねばならない。そもそも歴史をふりかえれば無縁に生きることはできなかったからである。土地から離れて生きることもできない、拘束された社会である。だからこれだけ無縁が広がったということはグロ-バルに広がったということは現代を象徴しているのだ。その極端なことが日本から無縁化する若者が増えているという、日本に未来を見出せず外国で働く人が増えているという。それはまさしく日本そのものからも無縁化してゆくことが可能な時代を象徴している。それはグロ-バル化したときすでに起こっていたのである。無国籍人間とかコスモポリタンだとかそういう人間が憧れとなっていたのである。これはまた無縁化社会とは異なる現象かもしれないが容易にグロ-バル化の時代はある場所とも日本すら離れ無縁化できる社会なのである。一方で土地とのつながり、家族でも大家族制がいいとか過去への郷愁からアイディンティティを求める人が増えてくる。会社から退職した人たち、団塊の世代などは故郷回帰志向が起きてきている。それは人間として自然なことである。でも故郷に帰れないという人たちも多くなっている。若い人はどうしても閉鎖的な田舎の有縁拘束社会より無縁化を目指すのが自然である。一方老人になると逆に有縁な家族や土地や地域とのつながりを求めるのが自然なのである。でも一旦都会に出たらそれができない、田舎で暮らすものと都会で暮らすものは別なものになっていたということがNHKの放送で実感した。つくづく人間は一旦破壊したものや時代が変わると元の社会を郷愁してももどれないものである。大家族制がいいと言ってもそういうことはもはやつくりえない、それは別な形態と変化する。他人同士の共同生活とかになっている。金の社会になったとき、貨幣経済の社会になったとき、地域貨幣とか作り出してもうまくいかない、むしろ皮肉なことに金で人間のつながりが作れるということにもなる。それも一旦破壊した変えてしまった社会は元に戻すことがいかにむずかしいかを示している。

 

秋田出身の人は両親も死んでいるし家も土地もなくなっている。ただ墓だけが残っていたがその墓には入れなかった。やはり故郷にはすでに頼るべきものがいなくなっていたのである。 実家の墓も実家はないが墓だけが残ったのである。その墓は一応まだ墓参りしている人がいるし縁故のものも生きているからこうはならない、でもいづれこうなってしまうかもしれない、やっぱり跡継ぎがないと家も最後は墓だけが残り無縁化してしまうのである。
 
故郷に墓のみ残りあれかな参る人もなく形見なるかな
 


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posted by 老鶯 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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