2006年02月16日

芽吹き(認知症の根本問題)

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心強し牡丹の芽吹き七つ八つ

認知症はまず忘れることからはじまる。普通年取ると忘れるのだがそれは全体の一部を忘れるのである。食事してもなんのオカズを食ったかは忘れても食事したことは覚えている。しかし認知症は食事したことさえ忘れてしまう。その時その時記憶する能力がなくなる。例えばAと教えてもそのAはその瞬間に忘れるから記憶されないからその空白を誰かが埋めてやらねばならぬのだ。絶えず探し物をしているのはその時々忘れるからそうなる。今オリンピックのトリノがどこかと聞いてきた。イタリアだと教えたがそれを言っても忘れるから十回もイタリアと教えつづけねばならなかった。こうして人間不信になり物を隠したとしてもその隠した場所を忘れるから次々に探し物をしている。そもそも人間不信になるのは自分で忘れたという自覚がまるでないからだ。自分が忘れたという自覚がないなら、なぜ無くなったのかとなる。自分でないとすると最も身近にいる人となる。身近な人が盗ったとなりその人に対する怒りは度を越した激しいものとなるのだ。

ここから人間不信となり悪辣な人格変貌が起きてくるのだ。根本的にはこの瞬間瞬間記憶できないことから記憶する細胞が破壊されることから様々な問題が起きてくるのが認知症の根本的な病気の原因である。ここから盗られるという妄想に発展する。誰かがみんな自分のものを盗ってしまうとなり毎日騒いでいるのだ。それは夜まで誰かが忍び込んで盗ってゆくと妄想化して夜まで家族の人が起こされたり家族の人は夜も眠れなくなるのだ。本人にしてみれば盗られるということで不安になっているのだ。眼鏡がなくしたのに眼まで盗られると言ったのには驚いた。それほど盗られるということが妄想化しているのだ。

認知症はこの記憶の細胞が破壊されたことが根本的な原因なのだからここを直さない限り直ることができない、それをどうしたらいいのか、記憶の細胞を増殖する方法でもあるのか?記憶の細胞とは何なのか?
ここが一番の問題である。ここが解決すれば認知症は直るし解決できる。なぜなら瞬間瞬間記憶できないということから問題が発生しているからである。前に述べたその人自身の性格とかにも確かに問題がある。でもその人自身が傲慢だったとか自己本位だったから神の罰としてネブカデネザル王のように獣ののようになり人と離れて獣としか住めなくなったというのは過酷すぎるのだ。ネブカデネザルブ王のような罰はやはり特別権力をほしいままにした王への罰であり一般人に対しては過酷すぎる。ただ人間の終末になんかこうした症状がでやすいことは一般的にありうる。生のあくなき執念が最後に誰にでもでてくるからだ。それは無意識的にもでてくるのだ。死にたくないとか生への最後のあがきのようなものである。

庭の牡丹が芽吹いた。その七つ八つは開花が約束されている。大輪の花を咲かせることは約束されている。存分に花は開花して散ってゆくのだ。しかし人間の最後はなんと無惨なのか?認知症になったらこれは本当に最悪である。人間の醜悪な部分が人間の記憶の破壊から地獄の釜のようにでてくる。人間不信の呪詛を毎日聞いていたらまさにダンテの地獄にいると同じになるのだ。人間がこんなに醜悪になって死んでゆくのかという戦慄を覚えたのである。
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