2010年01月30日

枯草(故郷に住むということ)

 
枯草の道踏みしだき幾度もここに来たりて我が歩むかも

行き通う道に墓あれ誰ならむ故郷に住み冬深むかも


一カ所にいて旅もしないと時間が長く感じる。今時間が短く感じるのは外国までも移動する時間が長くなったからである。リヨンのことを放送していたけどここに寄ったけど自分の場合、外国旅行は楽しめないしただ行ったというだけで外国はわからなかった。言葉がわからない、地理もわかりにくい、その場に立ってもわからないことだらけで印象に残らないことが多かったのである。そして覚えていることも少ない、そこに何があったかも覚えていないことが多かった。今日テレビで見てリヨンはあんなところかと再認識した。絹織物で栄えてベルサイユ宮殿に住んだマリ-アントワネットの衣装もここで作った。それを知るとフランスの歴史全体として浮かんでくる。古い館も隠されるようにしてありそこに住んでいる人もあり川沿いに椅子に座り憩う人々がいたがどこに川があったかも記憶していない、外国はそれほどわかりにくい所だったのである。だから外国旅行を楽しめる人はよほど慣れた人か留学しているとか長く住んでいる人しか楽しめないように思った。ここは京都の西陣と比較して語れば興味深いことになる。外国の歴史でも日本の歴史と共通性があるからだ。

 
故郷というと何もないけど枯れ草の道を毎日踏んで歩いていたらそこに記憶が刻まれるのである。そしてなぜか故郷は墓と結びつく、墓とは過去であり先祖でありその人たちも同じ故郷の土の上で一体として生きている感じになる。そういう感覚は都会にはない、都会の墓はまた別なものだろう。都会では土地との一体感はないのだ。それでもそこに長く住んでいれば愛着がわくから郷土史をプログで書いている人が多いのである。あるところを知るには何度も歩み記憶に刻まないと知ることができない、通りすぎるだけになってしまうのである。何でもない道でも何度歩いていればそこに記憶が刻まれて意味あるものとなってゆく。ところがただ通りすぎるところは記憶されないから意味ももたない、忘れるということは意味を持ち得ないことになる。戦争のことでも忘れれば意味もなくなる。郷土史というときやはり土の上に郷土史が成る。その土の上、土の下には先祖が眠っているのである。そういう感覚は都会にはない、特に東京とかなるとない、歴史は基本的には記憶である。その記憶が消失したら歴史は成り立たなくなる。現代は情報の洪水だけど次から次と情報が流れても忘れることが多すぎるのだ。何か記憶に深く刻まれないのである。江戸時代あたりだと一つ一つの出来事や人との出会いとか記憶に深く刻まれていた。遠くから来た人と出会うということもまれだったろうし人と人は親密に交わっていたからである。現代の交わりはテレビとかインタ-ネットとかバ-チャル空間での交わりが増大した。でもそこに本当の交わりはない、確かに情報の交換はあるが親密な交わりはない、それでネット空間で無視されたから秋葉原のような事件起こしたとかいうのも現代である。

 

働いたら、負けだったのか。
俺はマンホール開けては中に入る仕事をしているが、
もう腰をいつやられるか心配で心配で。
着ている服は役所と同じだから公務員と思われているかもしれんが、
派遣会社からの契約社員で、保険も、年金も手取りの17万から出さなければならない。
腰など痛めてしまったら、労災も出ないだろうし、会社からは放り出されるだろうし
考えると鬱になる。
もう安月給でマンホール持ち上げて臭い中に入るの嫌なんだよーっ。
こんな仕事についた俺はまさに負け。
働かない方がまだいいかも。

 

マンホ-ルで働く人など注目していない、でも地下からの声のように失礼かもしれんがモグラなのか?そういう人もこの世には働いている。インタ-ネットではそうした様々な人の声にあふれている。確かにマンホ-ルで一生働くとなると嫌だろうなとなる。でも誰かがやらざるをえない、無数の職業があり実際はそうして働く人たちを現代文明は実感としてしりえないのである。現代の労働は何らかこれだけではない、疎外されている。むしろ江戸時代の村で暮らして働いている人たちの方が仕事の充実感はあった。連帯して働いていたからである。ただ過去はただ現代からイメ-ジしているだけだから本当の所はわからない、毎日贅沢している現代と江戸時代とは比べようがないのだ。江戸時代の人が現代に生まれたら二度と江戸時代にはもどりたくないとなるだろう。
 
ニ-トとかフリ-タ-、派遣がなぜ今こんなにいるのか?それを書いたが回りにこれだけ仲間がいることは仲間外れにはならない、みんな働かないじゃないか、オレもその一人だよ、めずらしくもないよとなるが高度成長の真っ盛りの時代は回りにニ-ト、フリ-タ-、派遣もいない、仲間が誰もいなかったのである。だから孤立したアウトサイダ-になっていたのである。時代が違うとつくこうも違うものかと驚くのである。
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