2010年01月26日

亡き人を想う短歌



亡き人の思い出語り古りし家北風鳴りて今日も暮れにき


亡き人の思い出深く我が家に二人となるもあとはつづきぬ

我が家を支えて長き六〇年姉は死すかも菩提弔ふ

我が姉の菩提弔う勤めかな故郷に住み老いゆけるかな

六〇年の歳月長き姉とあり炬燵に入りて我が思うかな

この家を我が建てしと誇りしを姉亡き今は何か悲しき

人は死し何を残すやあたたかき情ある人の思い出にあれ


 

姉が死んでから一周忌終えてもまだまだ遠い存在とはならない、六〇年も一緒にいたことが影響したのである。変わった家族でも六〇年の歳月は重いのである。矛盾しているにしろ何であれ六〇年も家族として一緒に暮らすことの重みと意味は大きい。死んだ人は誰でも不思議に哀惜される存在と変わる。生前そんなに惜しまれる人でなくても死んでみると惜しいとなる。なぜなら死んだ人とは二度と会えないからである。ただ今となると思い出を語るだけになる。ただ死んだ人を語ると不思議とその人がいるように思えてくる。死んだ人もその時生きている。もし死んだ人でも何も語らないとしたらただ忘れられてゆくだけである。そして家とか庭は単なるモノではない思い出を残している、思い出を作る場所として大事なのである。家には思い出があるから古い家でも大切にする気持ちがわかる。古い家だとそこには長い物語がどこの家でもあるのだ。施設にはそうした物語がないから思い出がないから「家に帰りたい」となる。その家がないとしても昔元気だったころの家に帰りたいとなるのだ。姉もこの家を自分が建てたと自慢していた。今になるとなんか悲しくなる。炬燵に入っているといつも隣にいたのだからやはりいるように思える。でも死んだ人が理想的な人かというとそうでもない、ただ死んでみると人間はみなあわれなものとなる。生きているときは嫌な所はだれにでもある。死んでみると嫌なところも消えてただ惜しまれる人となる。死者でも死者と語っているとき心の中でも語りかけているときは死者も生きているのだ。死者を思わない人は死者に語りかけない、忘れてしまうのである。
認知症になってからは疎まれたし親しい人もよりつかなくなった。でも死んでみるともう・・・ちゃんは来ないなとか淋しく悲しく思うこともあるかもしれない、でも認知症になったからといって一回も来ないのは冷たい、せめて生きているときちょっとでも声をかけてくれれば喜んでいたのにと思うが病気が病気だけに責めることはできない、いづれにし人間の死は死んですべてが終わるわけではない、いろいろと尾をひくものなのである。なぜ三〇年前以上に死んだ実家の人のことを思うのかも不思議である。死者というのもそう簡単に消える存在ではないからだろう。
悪い面では恨みとかも残していることもあるだろう。人間は常に死者と語りつづける存在である。それは歴史を学ぶと同じなのである。歴史は過去でありその過去との対話は絶えることがないからである。そして歴史とはそれぞれの人によって語られみんな違ったものとして語られるのである。その立場やら生い立ちやら場所によって違ったものとして語られる。歴史は一様なものとして語られることはない、それが歴史なのである。
 

五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
  

 古今集(夏、、読人しらず)と伊勢物語(60段)に登場。伊勢では女性の改悛の場に使われている。すぐあとの 0240 式子詠は、またまた妖しい雰囲気
かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の 夢の枕ににほふ橘
誰かまた花橘に思ひ出でん我も昔の人となりなば(藤原俊成)
この辺では橘はなじみがない、関西では奈良でも橘はなじみが深い、やはり南の国である。人間は死んでしまうとどうなるのか、そのあとのことがまだつづいている。死者もだんだん時がたつにつれて嫌な事は忘れなつかしいものだけになってしまうのか?それでにおう橘が歌われたことがわかる。

自分にとって姉は悪い思い出とはならない、悪い思い出を残している人もいる。そういう人はやはり死んでも思い出はいいものとはならないし供養もあまりしたくないとなる。だからつくづく生前にいい思い出を残しておけとなる、冷たい仕打ちをされたことを今も語っている人がいる。継母だったからだ。そのことで実の親でないことで劣等感をもっていた、でも別に実の母親のように愛情をそそいでいればあとでいい母だったと偲ばれたのである。最後はでも後悔したのかもしれない、目は見えなくなり冷たい仕打ちをした継母を看取った。養老院に入ったので世話になったからと大学に解剖されて骨になって我が家に来た。それも30年前だったがなにか悲しいが最後に言った言葉は良かった。冷たい仕打ちをした継母だったが感謝の言葉を残して死んでいった。人間はその最後に一生をふりかえり反省することがありうる。罪を悔いることもありうる。それで救われた気持ちになる。認知症になるとそういうことがなくなるので残念である。
人間は一生の間にそれぞれいろいろなことがあるものである。人間は死んですべてが終わることにはならない、そのあともつづく、「怨霊供養」という碑を墓の中に建てているのをちらほらみかけるのはやはり恨みを残した死者を供養するためだろう。だからともかく人間の最後を看取るときは大事でありむずかしいのだ。自分の家は最後は悲劇だったけど二年半で死んだということは思った以上短かかったから今になるとそれほど迷惑だったとも思えない。そもそも60年も一緒にいた女だったから思い出が深いのである。
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