2006年02月15日

春日さす小松(認知症にかかりやすい人がいるのか?

春日さし小松一本狭き庭

認知症は犬とか猫も長生きしてなっているのだから間違いなく老齢化とともに脳の機能低下でなりやすい病気なことはわかる。しかし一方ではそれだけではない、単なる生物学的機能低下ではない、記憶の細胞が破壊されて猜疑心の強い、悪辣な人格に変貌するという不思議である。自分が忘れても物が盗られたとなり身近なものが盗ったとなりその相手は悪いやつだと徹底して異常に攻撃してくる。病気の始まりは記憶できないことにあってもそれが単なる耄碌のような物忘れで終らない異常性がある。そこがこの病気の根本的に不可解な病気なのだ。そして人間が思いやりもなくなり獣のようになってくる。これは家庭の中の親密な関係のある人に向けられるのだ。

不思議なのは自分が接した例では勝気な傲慢な人はなりやすいのではないか?謙遜な謙虚な人はなりにくいのではないか?勝気な人とか傲慢な人とかは社会的地位ある人になりやすい、こういう人は生前はいろいろなことができる才能ある人達でもある。これは男性だけでなく女性でも勝気な人や自己本位の女性になりやすい、謙虚さがない人になりやすいのではないか。女性でも認知症になる前は実際はリ-ダ-とかいろいろなことがテキパキできる女性で人望もある人が多いのだ。そういう人は何でもできる人だから傲慢になりやすい、なぜか共通項として「この家は私一人で建てた、この家は自分一人のものだ、財産は全部自分のものだとか・・・」自分がした、自分がやった、自分のもの・・・こういうことにこだわりずけずけ主張するようになる。そこに感謝とかの謙虚な気持ちが全然なくなっているのだ。一人でやれるわけがないのに自分がやったと自分のものだ、家も土地も金もとあくことなく主張する。これが狂気になっているのだ。本当に他に感謝したり思いやったり謙虚な心が全くなくなる、獣になってしまう人間の恐ろしさがある。ここが自分にとっては一番のこの病気の謎であった。


彼は権勢を賜ったことにより、諸民、諸族、諸国語の者がみな、彼の前におののき恐れました。彼は自分のものを欲するものを生かし、自分の欲するものをあげ、自分の欲するものを下しました。しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、傲慢にふるまったので王位から退けられ、その光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは獣野のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・・・ダニエル5-18

神に罰せられて野獣のようになったというのである。そこにいるのは獣であり人間は相手にしなくなった?つまり認知症も人間が相手するような病気でないようなものがあるのだ。相手が本当に人間なのかというほど獣的人間になっている、呪われてしまったという他ない無惨な状態なのである。

過去にも認知症とにたような病気があったのだ。なんらかの神の罰として認知症があるのではないか?
単なる生物学的老齢化だけの問題ではない、その人生の終わりに人間の自己本位的欲望や生へのあくなき執念が露骨に現れたのが認知症ではないか?
自分の家族の場合はそういうことがあったからこれは納得がいく、ただこの認知症は家族により人により千差万別でありわからないのだ。認知症は全くその症状といいなんとも謎めいているからだ。謙虚謙遜何事にも感謝しているような人はならないのではないか?高ぶり傲慢な人はその人は社会的に仕事のできる優秀な人でも最後に認知症になりやすいのか?これはしかしどんな職業の人でもなるからわからないのだ。修道院で暮らす尼僧もなるし老齢化で一定比率必ずかかるからどうしてそうなるのか謎である。
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