
散る花にさらに花散り夕暮れて芳野のあわれ我にも染みぬ
敗将を吉野に偲ぶ花と月
知られざる径の花影踏みて行く(老鶯)
芳野懐古 <河野鐵兜>
山禽叫び斷えて 夜廖廖 さんきんさけびたえて よるりょうりょう
限り無き春風 恨み未だ銷せず かぎりなきしゅんぷう うらみいまだしょうせず
露臥す延元 陵下の月 ろがすえんげん りょうかのつき
滿身の花影 南朝を夢む まんしんのかえい なんちょうをゆめむ
梁川星巖
今來古往蹟茫茫。
石馬無聲抔土荒。
春入櫻花滿山白。
南朝天子御魂香。
馮延巳
長相思
紅滿枝,
緑満枝,
宿雨厭厭睡起遲。
閑庭花影移。
歌書よりも軍書に悲し吉野山 東花坊
この句は芭蕉十哲の一人各務支考(かがみしこう)の句で、東花坊というのは支考の別号です。支考の名を知らない人でも、南朝の悲しい歴史に思いを寄せた句として、広く知 られている名句です。
吉野を詠んだ歌書はたくさんありますが、この場合は、南朝の悲歌を集めた『新葉和歌集』を思うべきでしょう。その悲愁の歌を集めた歌書よりも、やはり軍書『太平記』に描かれた南朝の哀史こそ、吉野山の歴史だというのが、支考の思いだったのでしょう。
この文を編んだのはキ-ワ-ドの「花影」であった。花影という言葉自体が詩語でありそこからイメ−ジされるものが広がるのだ。これをインタ−ネットで結びつけるのがインタ−ネットの読書なのである。俳句を上手になりたかったら漢詩をかなり読んでいた方がいい、漢詩からイメ−ジされた詩が日本の文華の始まりだった。だから漢詩ができる人は俳句を作る人より相当に詩をわかっている人に思える。俳句は詩がたいしてわからなくても一句くらいできるのだ。それで老人になって五七五をひねり出して俳人になったとか有頂天になって死んでいった人がかなりの数いるのだ。俳句は詩などほとんどわからない人でも作れるし俳人となってしまう文学なのである。でも漢詩はそうはいかない、かなりの詩として基礎教養を積まないと作れないのだ。その差はかなり大きいのである。だから漢詩を作れなくても理解だけはするように努力すると詩の世界も広がるのである。そしてその場には必ず歴史的背景があるから歴史を知らないとまた詩の世界もわからないのだ。吉野には悲運の将の歴史が積み重なっている。そこで自然もその歴史の影響を帯びて陰影を帯びるようになる。中国でもヨ−ロッパでも歴史がわからないと結局その城が何を意味しているのかもわからずじまいになって深い意味を読み取ることができなかったのである。
吉野の桜の写真
http://www.sakura.yoshino.jp/sakura2006/photo.htm