2007年02月27日

初音

広瀬川鳴きあいよりぬ初音かな

広瀬川の朝のせせらぎ初音かな

家と家猫行ききして春の雨


仙台は今はいつも長町から広瀬川にでて歩き仙台の市街にでる。市街は駅前までしか行けない、ヤマダ電機が新しくできたのでみてきた。今奇妙なのはヤマダ電機でも通信販売しているがその方が安いのである。送料もとらない場合があり安い、通信販売の値段と比べていつもみているのだ。ヤマダ電機が近くにあるとあとで故障してもみてもらえるから安全なのだ。だから通信販売で買った方が得な時代になっている。買い物でもわざわざ仙台に行くメリットがなくなってきたのだ。

ただ古本はいいのがありいつでも買っている。意外な掘り出し物がいつもあるのだ。今は他にあまり買うものはなくなった。パソコンでもビスタが確かにいいにしても変えるのが面同地なったのだ。ソフトやら何やらかえってめんどうになるからだ。パソコンはウィルスにやられたパソコンは一年以上そのままにしている。だからメ−ルは一つしか通じないからスパムがないので見るのが楽である。パソコンはウィルスにやられることが一番怖いことがわかった。ウィルスに感染したらパソコンを取り替えるしか方法がなくなるかもしれない、つまりパソコンが使えなくなってしまうのだ。

初音というとたいがい田舎の自然の中で聞くものだと思っていた。去年は雪の残っている山の中で聞いたからだ。今回と街の中でそれも広瀬川で聞いたの一興だった。仙台は広瀬川があることで潤いがある。でも広瀬川自体はそれほどきれいでないがそれなりに自然が生きている。広瀬川には野鳥もいろいろ来るからだ。自然のない都市は魅力ないのだ。東京は自然がないから魅力ないのだ。江戸は自然都市だったから美しかったのである。百年前ならどんな都市でも規模が小さいから自然は生きていたのである。

家と家の間をこっそり行き来している猫が春の雨に濡れている。これも猫の抒情だった。家と家の間を行き来しているくらいだったら楽である。老人はそのくらいしか動いていないのだ。手押し車を押して毎日そのくらいしか動いていない、老人と猫はにているのだ。あとは炬燵でまるくなっているだけだとなる。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3427767
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック