
春の朝瀬戸の潮や旅たちぬ
島々に湧き立つ潮春の海
島一つまた浮かびいず春の瀬戸
大船の汽笛ひびくや瀬戸の島
船の行き春の夕日や明石城
伊耶那岐の命(イザナギのミコト)と伊耶那美の命(イザナミのミコト)はまだ渾沌とする地に矛(天の沼矛)を突き刺し、こおろこおろとかき回して引き上げると、矛の先からしたたる海水が積もり積もって出来上がったのがオノコロ島で、二人はその島に御殿を建てて夫婦の交わりをするが、最初に誘ったのが女性であるイザナミであったため生まれたのは蛭子(未熟児)でした。そのためその子を葦の葉で作った舟で海に流すと、今度は男性であるイザナギが誘い、次々と子供(島)を産みました。これが日本大陸の誕生です
淡道(あわじ)の穂(ほ)の狭別島(さわけしま)(淡路島)
伊予二名島(四国)粟国,讃岐国,伊予国,土佐国
隠伎の三子島
筑紫島(九州)筑紫国,豊国,肥国,熊曾国
伊伎島(壱岐島)
津島(対馬島)
佐渡島
大倭豊秋津島(畿内)
淡路島から国生み神話が始まった。最初の国は島だった。日本列島は島の意識だった。佐渡島まで入っているのは最初日本海は交通の便が良かったからである。日本海から東北などでも内陸部へ入ってきた。瀬戸内海は海でも地中海とにている。船の通う道としての海だった。温和な海であり一見湖のようにも見えるからだ。太平洋とかの海とは全然違う、矛の先からしたたる海水で島ができたということが実感できる海なのだ。特に春は一層春らしい海になる。太平洋は春といっても特別変わらない、ただ広いというだけで変わらないが瀬戸内海は違うのである。だから幻想のなかでも蜃気楼のように島一つが生まれる、「島一つまた浮かびいず春の瀬戸」となる。
旅してきたものは旅が終わっても旅をつづけているのだ。芭蕉も旅が終わっても枯野を駆けめぐっていたように旅は終わらない、思い出す旅、記憶の旅もつづくのだ。記憶の旅は旅の記憶を歴史的な背景と結びつけるとさらに豊かになる。芭蕉の奥の細道も旅を終えてから何度も遂行して創作したのである。