2006年02月13日

春鳥(認知症に平和な日はない)


春鳥の声そちこちや我が耳に

幸せや石騒がずに春日さす


春の鳥がそちこちで鳴きはじめたようだ。その声が確かに我が耳に聞こえる。しかし耳の遠くなった老人にはその声も良く聞こえなくなるのだ。耳が遠くなることも老人の不幸の一つである。眼はなんとか眼鏡などで補強できる。耳も補聴器で補強できるがはっきりと聞き取りにくくなるから老人と話すことはめんどうになるのだ。

とにかく認知症の最大の問題は記憶する細胞が破壊されるから今言ったことを忘れる、したことを忘れる。そしてその自分の忘れたという自覚もないのだ。だから 忘れた→盗られた→攻撃・・となる。自分が忘れた自覚がなければ一番身近にいる人が盗ったとなるのだ。それが妄想的になるから否定できないし攻撃が強くなるからあつかいにくい、そして毎日こうして騒ぐのは瞬間瞬間に自分のしたことをまるっきり忘れることにあるのだ。ここが認知症の最大の問題なのである。

認知症の人をかかえてつくつぐ今まで当たり前のことがいかに幸せな平和なことか実感した。石は騒がない、それがいかに平和か?毎日何かで騒いでいる認知症の人をかかえると疲れてしまう。一日でも騒がない日があったらなとつくづく思う。それが最大の幸せになっているから奇妙である。
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