2009年12月11日

寒雀(みんな貧乏の時代?)


今日も来るお手伝いさんや寒雀


ジョウビタキ窓にながめて雨しとと


都会の人には信じられないだろうけど市営住宅だと3千円とか千二百円とかある。古い住宅が田舎には多いのだ。汲み取り式のトイレだし築50年とかなっている。でも住宅がただ同然なのだ。意外とこういうこと知られていないかもしれない、都会でも市営住宅は格安だけどただ同然で入れる住宅が田舎には多い。ただリホ-ムのため金がかかる場合がある。風呂がなくてそれなりにかかったとかそのままは住めない、田舎にも資産のある人とない人がいる。でも家持ちは多い。田舎は今は特に景気のいい話をきかない、どこかでもうけているとか話をきかない、建築関係でも今はだめである。医者くらいが元から金持ちだけどそれも歯医者がふえすぎてやっとやりくりしているとかワ-キングプアになっているとか開業医もそんなにもうからないとかこう考えると田舎でいいのは公務員と公務員で年金をもらっている退職者くらいだろう。その他景気いいというのをきかない、やはり高度成長時代は相当に活気があった。でも田舎では一人一台とか車をもっているのだから車代には金を使っている。そういう金はあるということで中国人の労働者から見れば日本は金持ちだと見えるのだろう。みんな貧乏の時代、寒雀の時代になるのか?シルバ-センタ-ですら仕事がない、仕事の奪い合いだというのもわびしい。田舎でも介護関係の仕事はふえているだろう。でも給料は高くないだろう。

 
高齢化社会でも格差社会である。金のある人と金のない人の差が大きい。でも現代では本当に金持ちというのはいなくなったのだろう。小金持ちはいるが本当の金持ちは非常に少ないし金持ちになれない時代というのもわかる。昔は大地主とか恒産があり多くの人を雇っていた。大工とか庭師まで雇っているような家があった。それだけ家を維持するのに金をかけていたのである。だからそこで職人はゆっくりと仕事ができて腕を磨くことができたとかなる。今はみんな手間賃稼ぎの労働になったからだ。金持ちには金持ちの役割があった。金持ちがなければ文化を生まれない、フィレンツでルネサンスが生まれたのはメジチ家が薬でもうけて芸術家を養成したからである。現代の民主主義は平等民主主義であり突出したものは才能でも財産でも怨嗟が激しい、結果的に金が子供手当てとかみんなに平均的に受けるものにばらまくことになる。もし金持ちに金が集中したらその人が芸術趣味があったら大きな庭作りとかに費やす、そこで職人の技術も活きてくるのである。
 

一句鑑賞 
 
富士の風や扇にのせて江戸土産  芭蕉
 

江戸と関東と富士山は結びついていた。今では東京から富士山は見えても富士とは結びつかない、江戸土産というと当時は浮世絵などが広まっていたから絵本なと最高の江戸土産だったろう。それを見て想像をたくましくした。現代は別に江戸-東京に行っていない人はいないしいつもテレビで写されているから情報の希少価値がない。江戸時代は情報の価値は今より何百倍も大きかった。本当に村のことくらいしか知らない人もいたろうし知っても範囲は非常に狭いのだ。扇一つでもそこには江戸が富士山が感じられる。富士山もめったに見られるものではない、今や土産の魅力もなくなった。土産はかえって底上げとか高いだけでまずいものが多い。それでも何か土産を買うということで売れる。土産の魅力が薄れたのである。江戸時代と現代を比べるとあらゆるものの価値が違ってしまっている。江戸時代よりこれだけ交通が発達して旅も自由なのに本当の旅をしている人は少ない、いづれにしろ江戸土産の浮世絵にしてもその価値は高い、食い入るよにして見ていた。今は次から次とテレビやら何やらで情報があふれかえって興味を失ってしまうという好奇心も薄れてしまう奇妙な世界になってしまった。あまりにもいろいろなものがありすぎる豊かな過剰化社会で人々が倦んでいる。豊さゆえの貧しさがある。
一方で本当の豊かさを追求できない平等民主主義の弊害もあるのだ。ともかく江戸時代の面白さは現代ではありえなくなった価値の発見なのである。

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