2007年02月06日

立春(早梅)

早梅の隣を見れば猫柳

早梅の香りてとなり猫柳今年は楽や心なごみぬ


「立春日」 陸 游 (南宋)

江花江水毎年同  春日春盤放手空

天地無私生万物  山林有処著衰翁

牛趨死地身無罪  梅發京華信不通

数片飛飛猶臘雪  村隣相喚賀年豊


今年はすでに梅が咲いた、一カ月くらい早い、丁度立春だった。だから季節的にはあっているのだ。季節感は季語は南を中心にしているから東北や北海道にはあわない、一カ月くらい寒いところの季節感は遅れているのだ。インタ−ネットでたまたま見つけたこの漢詩の意味はよくわからないが漢字だとなんとなく感でわかるところがある。

この人は結構有名で長生きしたから老いについての漢詩をかなり書いている。ただ一度も読んだことがない、インタ−ネットで啓発されて読むものがふえた。立春とか早梅というキ-ワ-ドで調べるから読むからそうなる。キ-ワ-ドで関連をたどって読むというのは今までなかった経験なのだ。これは中国語へと通じているからあらゆる漢詩がでている。

春餅は春盤と呼ばれており、毎年立春になると面粉で作った薄い餅を皿に敷き、その上に具を盛り付けて食べられていた。もともと、春餅というのは立春の日にだけ食べるものだったのである。 唐宋代になって、この風習はますます盛んになった。杜甫の詩にも、「春日春盘细生菜,忽忆两京全盛时」(立春の日に春盘に細かい野菜を載せたとき、突然むかしの長安と洛陽、二つの都の全盛時代を思い出した)とある。
 春盘は五辛盤とも呼ばれ、ネギ・ニンニク・ニラ・生姜・大根などを盛り付けて食べられた

http://dalianlife.exblog.jp/m2005-07-01/#2344659

天地無私生万物  山林有処著衰翁 無為自然とか天地の中に老いてゆく自分の肯 牛趨死地身無罪 牛が死地におもむくように自然に死に向かってゆく、牛がインドでも中国でもテ−マでありこれは肉としての牛ではなく精神的シンポルとしての牛が常にテ−マとなっているのだ。

梅發京華信不通 京華は都だから都からの音信がない、都のことがわからず老いてゆく、まだ雪が降ることがあるが村の隣同士で年が賀するということか・・・老いについて興味あるからこの人を調べるのは面白いかもしれない、中国は歴史が古いから老いの文化なのである。

認知症を家族にかかえる一番の問題は心の平和がなくなってしまうことなのだ。心なごみぬとしたが実際はなごんでいなかった。去年よりなごんだはいるが本当のなごみはなくなってしまう。心の平和が乱されるので一緒にいたくなる、なぜなら人間にとって心の平和こそ一番大事でありそれが乱されるから認知症は家族にも嫌われるのだ。心の平和を追求してきた自分が家族に一番心の平和を乱すものをかかえることがショックだし今も変わらない、なぜなら認知症は直らない心の病気でもあるからだ。自然はなごみの世界としてしあるが人間社会にはなごみがない、家族にもないとすると生きることが辛くなるだけだとなる。認知症の人は家族でも愛しえなくなるところがありそれがこの病気の一番の問題である。
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