2006年02月09日

春の月(扶養義務の恐怖)


穏やかに病小康春の月

今日は多少小康状態になった。認知症は幻覚とかにふりまわされ記憶の細胞が破壊されて心身ともにいづれ衰弱してゆくのかもしれない、まだ自分のことは自分でやっているから外からみたらそれほど悪く見えないかもしれないがかなり幻覚で暴れたので悪かったのである。幻覚は止めようがないから怖いのである。盗ったというときそこに幻覚症状が起きているから追及が激しくなるから怖いのだ。認知症は必ずしもその人が全部悪いわけではなく病気にふりまわされているのだ。その人間そのもの心に起因していることも確かなのだが本質的には病気が原因でそうなっているのだ。その一番の原因が今したことを全部忘れてしまうこと、記憶の細胞が破壊されることにあるのだ。

扶養義務というのはかなり怖いものであることがわかった。認知症になった場合、一番扶養義務があるのは娘であり息子である。これは戸籍上だけの関係でもそうなのである。最初に戸籍を見て扶養義務者が責任を負わされる。認知症になって放置して回りに問題が起きたら娘、息子が必ず呼び出され責任が問われる。監督不十分で罰せられることもあるから扶養義務は怖いのである。認知症になった人には責任能力がないから。買い物などでも売った方が責任をとらされ認知症の人は責任能力がないのである。責任者は扶養義務のある娘とか息子になる。親子の実質的関係に関係なくそうなるのだ。だから親子関係がうまくいっていないと介護はうまくいかない、いやだと言っても第一に娘であり息子が扶養義務をおしつけられるのだ。奇妙なのは兄弟とかになるとさほど扶養義務は課せられていないのである。だから公共の施設に入るとき娘とか息子とか世話する係累がない人は優先的に施設に入ることができるというのも意外だったのである。

いづれにしろこれから介護地獄がやってくる。特に認知症になったらこれは大変であり家族だけではできない、回りのものの助けをかりないかぎり介護できないのだ。まあ、親孝行というと海外旅行に連れてゆくとか温泉に親を連れてゆくとかしているがこんなものは全く楽すぎる。介護を負わされた娘、息子が本当に親を世話した人なのである。それをになわされた人が本当に親を世話した人なのである。親はその人にこそ最大の感謝を捧げるべきなのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/328920
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック