我一人二つの家の鬼やらい
介護して人の助けや鬼やらい
我一人家の柱や鬼やらい
豆まきなどやっていなかったがこれは宗教ではなく行事であり何十年ぶりかで自分でやった。悪い魔が入ってきたのでやった。実際に魔が入ってくることはある。宗教団体でも良く言うけど宗教団体自体が魔だということがわかっていないのだ。アパ−トなどでの老人の一人暮らしとか老人所帯には魔が入りやすい、だまされやすいのだ。だから悪徳商売や宗教団体とかに入れられる。福とか祝福は宗教団体にはない、宗教団体にあるのは権力なのだ。百万人もいれば百万人が頼りだとなるが実際は一票として数えられたり逆に負担を強いられることもあるのだ。そして宗教団体に入ったからといっていいことはない、福とか祝福は個々人にはある、家族にもあるが百万とかの団体になったら神の祝福はない、権力はあるから権力の恩恵はあるが祝福はなくなる。だから不幸な人は多いし不幸を解決しようとしてもかえって悪化している人も多いし現実、現証として目撃しているからわかっているはずである。ただ権力で表に出さないようにしているだけなのである。
ともかくこの一年は災難だったから今年は厄払いのために豆まきをした。こういう行事は悪くはない、誰も金をとったりしないし権力と関係ないからだ。権力と関係する宗教はみな悪いものなのだ。これはサタンの宗教であり呪われた団体なのにそこに入ればなんとかなるというのも人間の弱さである。その弱さにつけこまれるのだ。これを一概に批判はできない、誰でもガンを宣告されたり不治の病やら認知症やら様々な災難が起こると何か頼りたくなるからだ。自分もそうだったからだ。今日もまた介護で親の殺人があった。介護の殺人はこれから毎日起こるかもしれない、あまりにも過酷すぎるのだ。これだけ介護で苦しむとなると安楽死もやむをえないとかの議論になるかもしれない、介護される人も介護する人も地獄でありこれが日常化するのが高齢化社会の暗黒なのだ。認知症を介護するとなると二人だけ向き合って24時間いたら介護する人も間違いなく鬱病とか病気になる。精神科医には鬱病になったり自殺が多いというのもわかる。自分もそれを経験したからである。
2007年02月03日
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