
電車去るあとの長さや寒烏
別れ道道標(しるべ)の一つ冬日没る
the sunset in winter
a small old stone
in the corner
at the parting ways
みちのくに円墳(まろつか)五六基冬日没る
夕暮れに手押し車や冬柳
電車というとロ−カル線では一日何本かしかでないのがあった。もうそういうのは残らないだろう。少なくとも一時間に一回は出ないと実用にはなれないから廃止になるだろう。電車がきて何時間も電車が来ずに寒烏が電線に止まっている風景を記憶している。汽車や電車の旅が長いから今になると鉄道に愛着あることを今更ながらわかった。それだけ電車の旅をしたということでもあったのだ。記憶というのは三〇年前でも残るものは残る。残らないものは残らない、時間の経過とはあまり関係ないかもしれない、三〇年前でも昨日のことのように思い出して書いていることがあるからだ。これは老年になってわかることなのだ。
分かれ去り−分去(わかれさり)という地名が昔の街道には必ずある。分かれる、別れるてゆく分かれ道だから重要である。人々の記憶に残る場所だから地名にもなる。昔でも人が会い別れる場所は重要なのである。鉄道の駅もそうであった。忘れられた小さな道標が道角にあったがこれも昔は大事な目印しだった。今は忘れられている。ここの近くに真野古墳群とか小さな古墳が10くらいある。大きなのは五六である。これがどういう意味をもっているのかわかりにくい、鹿島区の寺内の前方後円墳は金銅双魚佩が出土しているから歴史的意義が明確だがここはわかりにくい、今日は寒く冬らしかった。冬は冬らしくないと季語も活きてこない。実際梅がすでに咲いていたのだ。