2007年02月03日

テレビは人間を考えなくさせるメデアだ!



テレビは人間を考えなくさせるメデアだ!

●テレビは見るのを制限しろ

テレビは感情的感覚的五感的メデアである。テレビは司会者が大写しで中心的存在となる。その顔や体型や身振りや感覚的なもの感情的なものに訴える、笑ったり大げさにあることを誇張したり俳優のゲストが泣いたりすると特に効果的である。見ている人も感情的に同調するからだ。だからテレビは女性に影響しやすい、直感的なもとして訴えるからだ。テレビの最大の特徴は思考が奪われることなのだ。思考は疑問から起こる。納豆でやせる・・・・そんなこと本当にあるのか?と疑問をながかけることでテレビの洗脳からまねがれるのだ。インタ−ネットでは例えば2ちゃんねるでは常にテレビを批判している、そんなことあるのか!それはそうではない!馬鹿げている・・・絶えず否定的にテレビをマスコミを見ている。テレビは一方的洗脳のメデアなのだ。見ている人に疑問をさしはさむ余地がない、一方的に作られてそれを一方的に信じる他ないらうに作られているのだ。何らかの反証するにもそれもできない、あなたは私の言う通りにしなさいというのがテレビである。テレビは感情に感覚的に訴える故にわかりやすいから直感的だから子供や女性、老人向きのメデアである。一日テレビを見ているのは老人と主婦だろう。テレビは考える必要がないから楽だから見るのだ。

うちのばあちゃんは医者から
「あんたはみのもんたのことを知ってるかもしれないけど向こうはあんたの事知らないんだよ」 と言われてようやく納得してくれた。
野菜スープが癌に効くってのにもだまされてたし・


ミノモンタを神のように老人になっているのもこれでわかる。その老人のことを知っているのは日々接するホ−ムドクタ−なのである。また家族でもある。でもミノモンタが医者異常の権威を持つようになっているのだ。明らかに洗脳のメデアなのがテレビなのだ。テレビには催眠術的効果があり暗示にかかりやすいのだ。人を考えなくさせるメデアである。宗教団体が集団的催眠術を行うのとにている。宗教団体も人間から考えることを奪い支配するからだ。

●認知症になりたくなかったら文章を読み書け!

インタ−ネットは例えば2ちゃんねるなど低劣だからと批判するけどあれを読みこなすのはかなり頭使うから中高年はついていけないのだ。確かに深い議論はないにしても多様な立場の人の意見を情報を読みこなすこと自体頭を使うからできない、一方新聞はこれはただ与えられたものを読むだけだから楽なのだ。新聞もあまり物事を考えさせないのである。ただテレビを見るより活字を文章を読む方が認知症の予防になる。漢字や文章を読むことは高度な脳の作業が必要なのだ。認知症になると数字の意味とか漢字が書けない、文章が読めない、書類はまるっきり外国語を読むような状態になり抽象的なことが皆目わからなくなる。毎日書類を見ても見ているだけで何が書いてあるのかその意味が全くわからなくなる。では何もわからない人かというそうではない、感覚的なこと感情的なことなどはわかるし残っている。

リンゴがあるとしたらリンゴの形を見て色を見て判断できる。感覚的にはリンゴを判断できるがそれを抽象化したことは理解できなくなる。リンゴを単なる一個という数字に抽象化することはできないのである。だから数字に置き換えたものは意味不明となるのだ。動物でも感覚的なものはわかるのだ。リンゴとかバナナとかは感覚的に見分けがつく、しかしこれをただの数として一個二個として認識することはできないのである。だから文章を読めない、書けない、数を計算できないし銀行のこともわからなくなる。具体的なリンゴというものを感覚的にわかっても銀行のような数字や書類だけの抽象的な存在は意味不明となってしまうのだ。だから新聞を声をあげて読んだり計算の練習していることはそれなりに前頭葉を働かせて感覚ではない、知覚を鍛えるから認知症の予防につながることは言える。認知症は知覚が破壊されてしまうからだ。

●自律的思考が身につくインタ−ネット

インタ−ネットというメデアは今までになかったメデアでありこれが何なのかわかる人はいないのだ。これは人類にとって未知なメデアとして現れたのである。その大きな部分が映像もあるが文が主流であり知覚、知的なものを刺激するものなのだ。そしてこれは今まで世の中に現れなかった多様な知的な知覚的なものが出るようになったメデアである。ここに決して出版もされない異端的なものが多数でているのだ。異端的なものが出やすいメデアなのだ。その異端的なものはカルト宗教団体的なテレビのメデアとは違い、個々人の体験とか独自の個性から出発しているから今までのメデアとは違うのである。絶えず知覚が刺激されるメデアであり考えさせられるメデアなのである。情報的にも裏情報、内部情報のリ−クがインタ−ネット的であり情報的にもええ、こんなことあったのかとか驚きがあるメデアなのだ。

デアには人間が語るということが最初だった。語って伝える他ないから何かを伝えるのには語り伝える人がいたしそれは芸能でも地方を回って見せることであった。テレビは芸能でも茶の間に何百万人に一気に放送できる、見せることができる故に甚大な影響をもたらしたのだ。しかしテレビは衰退してゆくメデアになりつつある。深くものを見るという点で欠けている、一億総白痴化の洗脳メデアなのだ。むしろ娯楽でもレンタルビデオに移りゲ-ムに移りカラオケに移っている。娯楽としても魅力がなくなってきたのである。レンタルビデオは自分の好きなものを選ぶことができる。それぞれの好みでみるから見方も深くなる場合があるのだ。最近古い映画をDVD化したのを五〇〇円で売っているところができて見たのは新しい経験だった。近くにレンタルビデオ店がないのと自転車が足なので隣の市まで借りるとなるとめんどうだから五〇〇円で買えたのでこれなら余裕をもって楽しめたからである。

哲学絵日記
http://www.h3.dion.ne.jp/~jituzai/tetunikki_index.html

精神病にかかった人が書いたものだが相当頭がいい人だからここまで書けた。インタ−ネットでは精神病とか病気については非常に詳しいものがいるし情報が豊富なのである。これは認知症について調べるようになってわかったのである。こうした異端的なものも堂々とインタ−ネットにはでている。偶然に見つかるだけなのだがインタ−ネットの知の世界を今や知り尽くすことはできなくなっているのだ。

shikakusanka.jpg

人と違った変わったことを言う人はものごとを考えさせる
みんな同じこと考え言うと人は考えないのだ
みんな同じ四角だったら誰も考えない
その中に○があるとなぜかと考えるのだ
異質なものが考えさせるのだ
posted by 老鶯 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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