2009年10月01日

虫の声(三千円の住宅と大きい家)


秋深む隣の墓の荒れしかな


三千円の住宅に住む虫の声

名取より移り住みたる人あわれ住宅古く虫の鳴くかな
 
 
人間は大邸宅に住もうが3千円の老朽化した市営住宅に住もうがいづれは死ぬし死ぬことではみんな同じである。確かに大邸宅に住みたいことはわかる。でも一人になったら大きな家は管理するのに大変になる。自分の家がそうでるある。築40年になると瓦屋根とりかえないと地震の時危ないとか家が傾いているとかいろいろ問題が出てくる。地震に弱いのは家自体が古くなると木も古くなり耐久性がなくなるからである。そして家のやっかいなのは大きな家はリホ-ムすると金が大変なのである。瓦直すだけで200万以上とかもはや直すこと自体嫌になった。すでにリホ-ムで建てる以上に使っている。そして壊すとき200百万以上かかるとか家を壊すこと自体それだけの金がかかるとしたら家自体が大きな荷物となっているのだ。むしろ家などない、三千円くらいの安い住宅ならいいとかなる。それならいつでもどこへでも移れるとかなる。大きな家がいいことはいいのだがやはり一人になると管理が大変なになるのだ。そして今やそうなる日は近い。自分の家の宝は何だったのか?本だったのかもしれない、蔵書だったのかもしれない、本にしたって集めても読める本は限られていた。古典全集をそろえてもよみきれない、他の人も全集をそろえても飾るだけで読めるものじゃないのだ。それで本の重さで家が傾いていたのである。知的仕事には本は必須でありやむをえないが本の整理も大変になった。
 
人間つくづくはかない、この世はしょせん一時の夢、仮住いである。これはすべての人にあてはまっているのだ。大邸宅に住む金持ちでも同じである。永遠にその大邸宅に住み続けることはできない、いづれ死んでしまうしこれもこの世は一場の夢だったとなる。90年生きても百年生きても結局はかない、何を成そうが成すまいがはかないことに変わりがない、この世が無常なことは変わらぬ真理である。その行き着く先は墓だったのである。
 
まあ、今度は何とかお手伝いさんとかヘルパ-を頼みやってゆくほかない、もう親戚はないし頼まない、もう年であり限界である。でも寝たきりでもすでに病院で一年とか知っている人がいるからすぐには死なないのだろう。いつ死ぬかはわからないのが人間なのだ。
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